彩恵津子「Delication」



音楽媒体の主流がCDからネットへ、さらにダウンロードからサブスクリプションへと急ピッチで変化している。部屋の壁一面を本やレコードで埋め尽くして悦に入るぼくら昭和オジサンは、もはやついていけない昨今の状況。ネット配信の影響は単なる媒体の変化に留まらない。今まで国内でしか流通していたかった邦楽がネット配信で世界中で聴けるようになった。そんな変化もあって昨今、日本の「シティーポップ」が海外で大ブレイクしているそうだ。


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70年代半ばから80年代半ばにかけて日本のポップスは大きく変化した。それまでの歌謡曲や青春フォークにはなかったモダンなコード進行やファンク系のリズム、スラップベースなどが取り入れられ、その後40年経った今聴いても古さを感じさせない曲作りが行われた。当時流行ったフュージョンの影響も大きかったろう。アイドル歌謡に飽き足らない音楽好きはそうした「今どきのポップス」やインストルメンタルのフュージョンを聴き漁った。
ぼく自身はそのころすでにクラシックにのめり込んでいたので、当時のそうした新しいポップスはほとんど聴いていなかったのだが、カーラジオから流れるいくつのか曲には印象に残るものもあった。 程々に忙しかった三十代、四十代は音楽そのものとも疎遠になっていたが、21世紀を迎えた頃からおもむろに青春回帰。かつて流行ったポップスやフュージョンのレコードをリサイクルショップのジャンク箱で捕獲する日々が続いた。そうした音盤の中には昨今言うところのシティーポップのレコードも何枚かある。

きょう取り出した1986年リリースの彩恵津子「Delication」もそんな中の一枚だ。記憶はまったくないのだが、この盤も出自はリサイクルショップのジャンク箱。そもそも手に入れた時点で彩恵津子という名前さえも知らなかったというスットコドッコイ、今更ながらのシティーポップ彩恵津子。ネット情報では1984年に初アルバムを出し、その後80年代後半まで何枚かのアルバムを出している。この「Delication」は三作目にあたり、ファンの間ではもっとも優れたアルバムという評価らしい。こうして聴いてみると、いかにもシティーポップらしい都内的な雰囲気。久保田利伸が楽曲を提供していたり、バックバンドには斎藤ノヴや鳥山雄司の名前も見つかる。声質はちょっとアイドルっぽいところもあって、やや線の細さを感じるが、ファンにとってはその辺りの塩梅がいいのだろう。ノリのいいファンク系、しっとりバラード、飽きさせない選曲でアルバム一枚たっぷり楽しめる。 彩恵津子…さて、今はどうしているのだろう。


「リバーシブルに恋してる」


ファーストアルバムのタイトルチューン「Reach Out」


アルバム「Delication」全曲



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ハイドン交響曲第22番変ホ長調「哲学者」



今月も残り少なくなった。関東地方は先週末から暑さが戻り、二度目の梅雨明けの様相。きょうも律儀に仕事をして定時に退勤。帰宅後ひと息つき、しばらく前から通勤車中で聴いていたこの盤を取り出した。


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ちょっと久しぶりのハイドン。交響曲第22番変ホ長調「哲学者」。デニス・ラッセル・デイヴィス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団による例の全集ボックス中の一枚。初期交響曲として第13番、21番、23番が併録されている。

この曲は初めて聴いたのはいつだったろうか。随分前の確かFM放送。ハイドンの典型的な交響曲を予想して聴き始めると闊達な第1楽章が一向に始まらない。どうしたものかと思っていたら、そのまま最初の楽章が終わり、続いて急速調の次の楽章が始まった。ん?と思い調べると、第1楽章がアダージョ。続く第2楽章がプレストという構成だった。ハイドンの交響曲にはいくつか同じような構成があるようだ。古い教会ソナタの形式を踏襲しているとも言われる。

アダージョの第1楽章はホルンとコールアングレ(イングリッシュホルン)の掛け合いで始まる。バックの弦楽群のきざみにのって奏でられるそのフレーズは、哲学者が穏やかにしかし深く思索しながら逍遥するようでもあり、賢者の問答のようでもあり、なるほどと感じさせられる。途中から弦楽群がユニゾンで美しく長いフレーズを奏する下りも印象的だ。第2楽章はいきなり急速調のフレーズで始まる。これが第1楽章でもまったく不思議はない。実際この第2楽章を冒頭の楽章に配した版もあるそうだ。第3楽章は定石通りのメヌエット。ここでもホルンとコールアングレが活躍する。そして第4楽章は再びテンポを上げ、時折りホルンが狩りを告げるように響き渡り快活に進む。


この盤の音源。第1、2楽章。手持ちの盤からアップした。


全4楽章。イタリアのリコーダー奏者で指揮者のジョヴァンニ・アントニーニと彼が組織したイル・ジャルディーノ・アルモニコによる演奏。!マークがでるが、「YouTubeで見る」をクリックすればOK。



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アシダ音響ST-90-05



先週末、注文していたオモチャが届いた。

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アシダ音響のヘッドフォンST-90-05。気安く買える値段だったこともあり、しばらく前に同社のオンラインショップから注文していた。人気沸騰とのことで生産が追いつかず、到着までひと月ほどかかった。
アシダ音響というと、ぼくら世代で少々オーディオに興味を持った輩には聞き覚えのある会社名だろう。但し実際の製品となると一般民生用にはほとんど出ておらず、放送局の現場モニター等で使われる製品がほとんどだった。ぼくはかつてオーディオ雑誌で知ったフルレンジスピーカーで記憶にある。今回手に入れたヘッドフォンはそうした業務用のロングセラーをコンシューマー用にモディファイしたものとのこと。


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かつて80年代にぼくら世代が熱中したオーディオ全盛期にはヘッドフォンはサブ、アクセサリの範囲を出なかったが、今の若い世代にとってオーディオデバイスといえばヘッドフォンやイヤフォンがデフォルトだ。今回手に入れた製品は写真でわかる通り、いかにも昭和レトロかつこれ以上ないくらいシンプルなデザインで、そこが今の若い世代に受けて人気となっている様子。 音はベースとなったモニター機の特性を引き継ぐ明解なもので、手持ちのソニーCD-900STに通じる。ダイヤフラム径は40㎜。1テスラの強力磁気回路が売りのようで、低音は低いところまでしっかり出る。中高音はソニーに比べると音数の多い管弦楽曲でやや団子になる感じだが、ボーカル、室内楽、ピアノ等は問題なし。耳の上に載るタイプの密閉小型シェルで音漏れはほとんどない。深夜に内緒?!の音源を聴くにも好適だ。ヘッドバンドは樹脂製でクッションはなく、調節機能も最小限だが、本体が110グラムと軽量なこともあって装着感も問題ない。

横綱・大関・小結…三役揃い踏み
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ぼくの場合、日常的に夜半のダイニングテーブルにおいたノートPCでYouTubeなど聴くことが多いが、そのときのお供としてコンパクトで音質も及第点のこのヘッドフォンは、今まで使っているソニーに代わって活躍しそうだ。




ゼンハイザーHD599との比較。



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群馬交響楽団第580回定期演奏会



きのう土曜は群馬交響楽団(群響:グンキョウ)の定期演奏会へ足を運んだ。


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前回聴いたのが今年始め、1月の定期演奏会だったから半年ぶり。4月からの新年度としては初めてとなる。地元ゆえ毎月聴けないことはないのだが、ちょこちょこ野暮用と重なり、思うに任せないでいた。今回はどうしても聴きたいプログラムだったこともあって、ぼくにしては珍しく、かなり前からチケットを予約してきょうを迎えた。

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ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30
ストラビンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
ピアノ:清水和音
指揮:高関健 管弦楽:群馬交響楽団
2022年7月23日(土)16:00~ 高崎芸術劇場
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このところ暑さの戻ってきた関東地方。この日も朝から夏の陽射しが照り付けた。暑さ未だ癒えぬ午後3時過ぎに会場到着。予約しておいたチケットを受け取り、ロビーでひと息ついてからホール内へ。真夏のコンサートにも関らず席は9割程度埋まっている。定刻の16時ちょうど団員入場。客電が落ち、チューニングが始まった。

前半は清水和音を迎えてラフマニノフ。ラフマニノフのピアノ協奏曲といえば第2番がもっともポピュラーだが、近年は第3番も同程度に取り上げられるそうだ。ぼく自身は学生時代にこの第3番と第2番とにほぼ同時期に親しみ、第3番も第2番に劣らずよく聴いた。清水和音はデビュー30年を記念して2011年に、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1~4番全曲とパガニーニの主題による狂詩曲とを一度に演奏するという快挙を成し遂げたと、プログラムに記されていた。還暦を迎える年齢だろうが、まだまだコンサートピアニストとして第一線のバリバリ。難曲揃いのラフマニノフもお手の物に違いない。

きょう聴いてあらためて思ったのだが、ラフマニノフのピアノ協奏曲はやはり中々難しい。難しいというのはピアニストにとって難曲であるとか、複雑難解で聴き手には少々辛いとか、そういうことではない。第2番にもいえることだが、レコードやCDで聴いているのと実演での印象が中々一致しないのだ。ピアノの音をしっかりピックアップして管弦楽とのバランスを整えた録音で聴いていると、音数が多く様々な細かなことをやっているピアノの動きがよく分かるのだが、実演ではピアノの動きが管弦楽に埋もれがちになり、よほどこの曲に親しんだ聴き手でないと、ピアノと管弦楽との「協奏」を楽しむのは難しいと感じる。同じように有名なチャイコフスキーの協奏曲などは、ピアノと管弦楽のコントラストが常に明解だし、ピアノパートが管弦楽から自然と浮かび上がって聴こえているように作られている。それに対してラフマニノフは、ピアノが確かに難しいいろいろなことはやっているのだが、それらが管弦楽に埋もれがちで、聴き手側が努めてピアノを聴こうと意識する必要があるように感じる。もっともそうした響きが、ラフマニノフらしい濃厚なロマンティシズムそのものともいえる。きょうの演奏はそれでも、高関氏の軽快なオケコントロールによって、管弦楽の表情が豊かで、曲として散漫な印象はなく、濃密ながらも引き締まった音楽だった。ピアノの技巧についてはよく分からないが、清水和音の弾きぶりは余裕十分でまったく危なげはない。同時に力ずくになることもなく好印象だった。40分を越える大曲を弾き終えたと、鳴りやまぬ拍手に応え、アンコールとしてチャイコフスキーの「白鳥の湖」から「四羽の白鳥」(アール・ワイルド編)が演奏された。

休憩をはさんで後半はストラヴィンスキー「春の祭典」
きょうのコンサートをかなり前から予約したのは、高関健によるこの曲を聴きたかったからに他ならない。譜読みの深さとオーケストラコントロールに関して、今や高関健は本邦随一ではないかと思う。「春の祭典」は彼の得意なレパートリーの一つのようで、かつてN響を振ったときの名演は今でも語り草になっているそうだ。

ステージいっぱいに広がった4管編成オケ。曲は冒頭ファゴットのソロで始まる。ファゴットが出せる最高音まで使うこのソロ。この日は首席奏者の奈波和美が担当。大曲冒頭のソロで最高音域ということもあり、やはり奏者としては緊張MAXになる場面なのだろうか、やや音が不安定になる。幸い大きな破綻には至らず次のフレーズへと進む。管楽器群、弦楽群、徐々に音の数と厚みましながら曲は進み、印象的な弦の刻み音型に突入。もうその辺りまで進むとオケ全体としての堅さはなくなり、聴く側もこの曲の醍醐味にひたり始める。 高関氏の指揮ぶりはさすがのひと言だ。スコアは置いてページをめくってはいるものの、指揮ぶり自体はほとんど暗譜同然に見える。複雑な変拍子の振り分けとアクセントの指示、出入りを繰り返す各パートへのサイン…。演奏中ぼくの目はほとんど高関氏の指揮ぶりに釘付けだった。高関氏の指示に応えて群響の各パートも思い切りのいい音出し。8名揃ったホルンパートは時折りベルアップして強奏。この曲のかなめである打楽器群も1900名収容の大空間を音圧で満たす。最強音から一瞬の休止そして最弱音、そして再び最強音。新しい本拠地となった会場のアコースティックも奏功し、本来のディナーミクがきっちり再現されていた。

19世紀ロマンティシズムの最後を飾るラフマニノフ、そして20世紀幕開けとその後の音楽に大きな影響を与えたストラヴィンスキー。盛夏の暑気払いに…と言っては少々軽くなってしまうが、近代オーケストラサウンドの醍醐味を堪能できた素晴らしい演奏会。耳に残る大団円の響きに酔いながら、幾分涼しい風が吹き始めた宵の会場を後にした。


演奏会直前練習後、高関氏へのインタビュー


清水和音がアンコールとして演奏したアール・ワイルド編「四羽の白鳥」



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ラゴスニック(G)とリンデ(FL)



梅雨空に逆戻りしたかのような日が続いていたが、このところじわじわ気温も上昇。暑い夏が戻りつつあるようだ。さて、気付けば7月の下旬。思いがけず仕事量増大の年度初めから数ヶ月経ったが、相変わらず程々に忙しい。きょうも月末締切りを気にしながら業務に精励。7時過ぎに帰宅。道楽部屋の整理をしながらBGMにと、こんな盤を取り出した。


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コンラード・ラゴスニック(1932-)のギターとハンス=マルティン・リンデ(1930-)のフルート、リコーダーによる演奏を収めたLP盤。

最近の事情はよく知らないが、ぼくが学生時代の70年代、ギター弾きにとって他の楽器とのアンサンブル相手の筆頭はリコーダーだった。手軽で素人でも音がひと通り出せ、音量も適度でギターの相方にちょうどよかった。ギター弾きの何割かはリコーダーも自己流でかじったものだ。取り上げる曲もギター弾きにも馴染みの深いバロックの小品や、少し腕を上げるとヘンデルのソナタが目標になった。かくいうぼくも学生時代、友人のギターとチェロを通奏低音にヘンデルのト短調のソナタに挑戦し、学内の演奏会で吹いたことがあった。

この盤ではヘンデルのソナタ他、レイエ、ロカテルリ、バッハやテレマンの作品が収録されている。録音は1975年。当時完成したばかりの上野学園石橋メモリアルホール(数年前に建て直された)でカメラータトウキョウ:井阪絃のプロデュースで行われている。オリジナルの伴奏あるいは通奏低音(一般にはチェンバロあるいはチェンバロ+α)による伴奏と比べるとギター1本による伴奏は、正直なところ少々音楽が痩せて聴こえるのはしかたないだろうか。ラゴスニック自らのアレンジによるギターパートは、以前楽譜にあたったことがあるが、技巧的に中々難しく、きちんと弾くにはアマチュア上級以上のスキルが必要だ。この盤、あるいはこの編曲はギター弾きがバロック期の合わせ物を楽しむ対象としては好適だが、純粋に笛の響きと音楽を楽しむのなら、オリジナル形式の伴奏を採りたい。

手元にはこのコンビおよびフルートのペーター・ルーカス・グラーフ(1929-)のフルートを相方にした盤がある(写真下)。グラーフとの盤はギター弾きにはお馴染みのジュリアーニとカルリの作品他が収まっている。ジュリアーニは作品25ホ短調のソナタ、カルリは作品109の中の一つ。共にあまり演奏されることのない曲だ。曲としてはオリジナルがギター用に書かれているこれらギター古典期の作品の方がずっと楽しめるように思う。 部屋の戸棚の中にリコーダーが何本か転がっているが、音を出さなくなって久しい。昔を思い出してヘンデルのソナタでもトライしてみたいとも思うが、今更…の感強く、手付かずのままだ。


このコンビによるバッハ:フルートソナタ・ハ長調BWV1033第1楽章。1991年の再録音


ペーター・ルーカス・グラーフとラゴスニッヒによるジュリアーニ作品25ホ短調のソナタ。


こちらはカルリ。



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モーツァルト ピアノソナタ第8番・第13番



三連休が終わり、週半ばの水曜日。都内での仕事を終え、夕方5時過ぎの新幹線で帰途についた。コロナ第7波到来の中、人の動きはむしろより活発になっている感じで、新幹線も東京駅を出たあと、大宮駅で東北新幹線からの乗客が合流するとほぼ満席になる。 さて、帰宅後一服して弛緩タイム。音盤棚を見回し、しばらく手を伸ばしていなかったグールドのボックスセットを取り出し、くじ引きよろしく一枚引き当てた。


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取り出したのはモーツァルトのピアノソナタ集のうち第8番・第10番・第12番・第13番の4曲が入っている盤。60年代後半から70年にかけての録音。

第8番のよく知られたイ短調のソナタは、いきなり猛スピードの第1楽章から始まる。確かにこの曲の1楽章の音形からすると楽譜の指示にはMaestosoとあるものの、荘重で悲劇的に奏するよりは、一気に疾走する方が相応しいようにも思える。グールドのテンポは悲しみを感じる間もなくイ短調という調性に駆られてひた走る感がある。展開部は更に激しく突き進む。そして対比するように第2楽章は美しいフレージングと適確なアーティキュレーションで落ち着いた弾きぶりを示す。

この盤で興味深いの第13番変ロ長調K.333のソナタだ。 モーツァルトのピアノソナタの中でももっとも優れたものの一つとされる。この曲の第1楽章に6分24秒かけているYouTubeの演奏(1967年)と比べると、この盤の録音(1970年)はずっと速いテンポ、3分44秒で弾き終えている。これほど違うとは正直驚いた。グールドの演奏は彼なりの完成された解釈と確固たる自信に裏付けられているものと思ったが、意外にも場合によっては相当異なった解釈をするものだということを知った次第だ。


この盤の楽譜付き音源。第8番イ短調全3楽章。1969年録音



K.333の演奏を比べてみよう。
この盤、1970年録音の楽譜付き音源。


こちらは映像収録用の演奏。1967年とのこと。



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シェリングとヴァルヒャのバッハ



三連休最終日。日中少々野暮用こなし、昼過ぎには渋茶で一服。音楽も渋めのこんな盤を取り出した。


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バッハ「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタBWV 1014-1019」。先日の記事でベートーヴェンを聴いたヘンリク・シェリング(1918-1988)のヴァイオリン、ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)のチェンバロ。1969年録音。十数年前、廉価盤でリリースされた際に買い求めた。ぼくは決して熱心なバッハ愛好家ではないが、この盤は年に一度はプレイヤーにセットする。

この作品は以降の時代の独奏楽器と鍵盤楽器伴奏という形式の器楽ソナタの範になったとされる。実際チェンバロパートには、同じバッハの「フルートとチェンバロのためのソナタ」同様、当時一般的だった通奏低音の役割を超えた独立した声部やフレーズが与えられ、ヴァイオリンパートと一体的に音楽を構成する。一方独奏ヴァイオリンは単独で自己主張することが少なく少々地味な印象すらあり、より人気の高い無伴奏の作品が一つの楽器で表現の限りを尽くすがごとく広い音域と多彩な技巧を凝らしているのとは対照的だ。

この演奏を聴いて印象的なのはシェリングの独奏ヴァイオリンではなく、バッハの求道者として有名なヴァルヒャの弾くチェンバロパートだ。全6曲いずれも生真面目を通り越し、いささかぶっきら棒と感じるほどの弾きぶりといったらいいだろうか。拍節感は厳格でありながら、厳しさというよりは素朴さを感じ、フレーズの入りや出も持って回ったようなところは皆無だ。彼の繰り出す音楽からは、16歳で失明しながらバッハ鍵盤作品をすべて暗譜し、二度に渡ってオルガン作品の全曲録音を果たしたという彼の求道的な姿勢と飾らない音楽世界が聴こえてくる。もちろんヴァルヒャの真髄はオルガン演奏だろうが、こうした合わせ物(確かこの録音が唯一)のチェンバロにおいても彼の音楽への姿勢は十分に感じ取れる。

そんなヴァルヒャに呼応してか、シェリングのヴァイオリンも音価を短めに切り詰め、決して歌い過ぎずに内省的に弾き進めていく。マタイ受難曲の有名なアリア<神よ、憐れみたまえ>を冒頭に配した第4番ハ短調BWV1017など、美音を駆使してもっとメロディアスに歌うことは容易であったろうが、そうしない見識も立派。昨今のオリジナル志向、ピリオドアプローチからはかけ離れた演奏だが、一時代を象徴する名盤だ。


この盤の音源。第1番ロ短調


同 第3番ホ長調


メニューインとグールドによる第4番ハ短調。第1曲シチリアーノはマタイ受難曲中の名アリア<憐れみたまえ>につながる。



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マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
音楽とクラシックギターに目覚めて幾年月。道楽人生成れの果てのお粗末。

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