先週末の日曜日、少し前のハウザーに続きオルディゲス作のギターを取り出し、久しぶりに弦を交換した。

オルディゲスを手に入れたのは2014年。前後して何本かのオルディゲスを弾いた中で、一昨年閉店したカリス@恵比寿で出会ったのが2008年作の個体。音は一度で気に入った。いくつか細かい箇所で気になるところがあって、その後少々手を入れ、現在はベストな状態になっている。これまでごくノーマルなナイロン弦を張っていたが、少し個性を変えてみようと思い立ち、今回はアクイーラ社のアラバストロ弦を張ることにした。
ギター弾きにとって弦の選択は楽しくもあり悩ましくもある。楽器そのものと比べたら無視できる程の価格で(ヴァイオリン属に比べるとずっと安い)かなりの種類の弦が手に入ることもあって、あれこれ試したくなる。ぼくもそのくちではあるが、実際のところは「素材が同じなら、どれを選んでもそう変わらない」という印象をもっている(某著名プロ奏者も同じようなことを言っていたなあ…)。 音の記憶は実に曖昧で、弦を張り替え、すなわち何分かの時間をおいて、記憶を頼りに微妙な音の違いを区別できる能力はぼくにはない。カーボン弦と釣り糸の比較をやったときのように、同じ楽器に比較すべき弦を並べて張って弾き比べないと分からない。オーディオの聴き比べに近い状況だ。もっとも客観的に白黒つけなけばならない話ではないし、本人が感じるままに気分よく納得して弾ければそれで事済む話なので、これ以上詮索するつもりもなく現在に至っている。 一方、素材が違う場合は、記憶にはっきり残るくらい音が変化するのはぼくにも分かるし、誰しも認めるだろう。通常のナイロン弦に対して、カーボンを配合したものや組成が違うものなどは、はっきりと判別がつく。



アクイーラ社の弦は従来のナイロン弦やカーボン入り素材と異なる素材を使った弦が何種類かラインナップされている。これまで同社のアルケミア、ペルラ、アンブラを使ったことがあるが、それぞれが中々個性的で明らかに弦で音が変わるという実感をもつものが多い。今回のアラバストロもそうした違いが実感できる弦の一つだ。 これまで張っていたナイロン弦に比べ、アラバストロを張ったオルゲディスは、この楽器が範としたハウザー1世が作られた時代の響きを感じさせる。全体に反応よく軽快に音が立ち上がり、よく鳴る。同社のペルラほどではないが、通常のナイロン弦に比べるを少し余韻は短めのようで、タッチのアタックにエネルギーがのる。音の反応はいいが、カリカリした音色ではなく、ペルラほどではないものの、やはり少し古風な響きだ。もっとも張り替え直後ゆえ、このあと初期の伸びが落ち着き、馴染んでくると、また変化するだろう。
アクイーラ社の弦が日本に入ってきたのは20年程前と記憶している。当初はその価格の高さに驚いたものだが、その後バリエーションの拡充や価格改定もあって、現在は他のメーカーとさほど変わらない価格設定になっている。一般的なナイロン弦やカーボン入り素材から変化を求めるにはいい選択かと思う。
オルディゲスで弾いた音源から4曲ピックアップした再生リスト。弦は通常のナイロン弦です。
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週明け月曜日。仕事は相変わらず程々に忙しい。程々といっても、セカンドキャリアになってからの程々など、前職時代の仕事MAX期に比べたら天国のようなものだ。こうして帰宅したあと、何か聴こうという元気が残っているのが何よりの証拠だ。さて、そんな万事程々の今夜、取り出したのはこの盤だ。

ロベルト・シューマン(1810-1856)のチェロ協奏曲イ短調。先日も聴いたワレフスカ(1945-)のチェロ独奏。ワレフスカの初期録音を集めたタワーレコードの企画盤中の1枚。1970年11月録音。まだメジャーな人気を得る前のエリアフ・インバル(1936-)がモンテカルロ歌劇場管弦楽団を振ってバックを付けている。
この曲の魅力は何といってもその全編を通して流れる豊かな歌だろう。第1楽章冒頭、オケが三つの和音を出し、それを受けてすぐにチェロが主題を奏でる。ぼくがこの曲を最初に聴いたのはいつのことだったか、もう記憶すらないが、ともかく冒頭のこの主題に瞬時に心惹かれてしまったのを覚えている。 チェロの音域をいっぱいに使い、ときに高音域でたゆたうようなメロディーを奏で、ときに最低音から一気に駆け上がるようなダイナミクスを示す。そのいずれもが、ロマンティックな旋律にしっかりとのって離れない。第1楽章などはぼくら素人が聴く限り、テクニカルな面を売りにしているようなところは感じられないのだが、実際には技巧的に大そうな難曲だそうだ。第2楽章も一層深くも淡いロマンティシズムに彩られて美しい。第3楽章は転じて一気にテクニカルでスリリングなフレーズが続く。三つの楽章がアタッカで演奏されることもあって、二十数分の間、演奏者の緊張は並々ならぬものがあるだろうが、聴く方のこちらも一気に聴き入ってしまう名曲だ。
ワレフスカの音はこうしてオーディオセットで聴いていても太く豊かであることが分かる。最低音から一気に駆け上がる難易度の高いスケールもその強さは変らない。 濃い口の音色、たっぷりとしたヴィブラートなど、少し前の時代のスタイルだろうか。若き日のインバルの指揮ぶり共々、スタジオ録音であることを忘れ、一発勝負のライヴさながらの演奏が展開される。
この盤の音源。第1楽章途中まで。 45秒過ぎ:セゴビアをエスコート。2分過ぎ:VOUGHの表紙を飾りそうなポートレート。2分40秒過ぎ:イッセルシュテットと。
この盤の音源。全3楽章
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八月最後の週末土曜日。溜まった宅内野暮用をこなし、道楽部屋の掃除も少し念入りに…他これといったこともなく日が暮れる。夕方近くになって一服。久々にこんな盤を取り出した。

リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の室内楽と合唱曲などを収録した3枚組みセット。室内楽としては、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタなどが収められている。きょうはその中からシュトラウス18歳のときの作品「チェロソナタ ヘ長調作品6」を聴いている。ムスティスラフ・ロストロポービッチ(1927-2007)のチェロ、ヴァッソ・デヴェッツィ(1925-1987)というギリシャのピアニストによる1974年の録音。ちなみに、ピアノのヴァッソ・デヴェッツィはマリア・カラス晩年の友人として知られ、ときにカラス毒殺説の犯人として名があがると、ものの本に書いてあった。
さて、このソナタ。18歳のシュトラウスがミュンヘン大学在学中に作られたものだそうだ。当時ミュンヘン宮廷管弦楽団にいたハンス・ヴィーハンというチェロ奏者との出会いがきっかけとされる。曲は急緩急の三つの楽章から成り、両端楽章はソナタ形式という、いたってオーソドクスな構成。曲想もロマン派の典型的なもので、この盤のライナーノーツにも書かれているようにシューマンの作風に近い。 第1楽章は初めてこの曲を聴く者にもはっきりと第1主題、第2主題、展開部、再現部が認識できるほど明快なソナタ形式。冒頭は力強くベートーヴェン風に始まるが、以降は穏やかでロマンティックな響きが続く。第2楽章のアンダンテ・マ・ノン・トロッポはニ短調に転じ、憂いに満ちたフレーズが歌われる。
ロストロポービッチのチェロはいつも通り強く明快な音。もちろん技巧も満点と思われるが、一方で、この曲のもつ若き青春時代ゆえのもやもやとしたロマンティシズムの表出には、もう少しかげりのある弾きぶりが合うようにも感じる。録音状態はアナログ最盛期の優秀なものだが、ピアノとチェロが共にほぼセンターに定位し、響きの広がりにやや欠けるのが残念だ。
この盤の音源。全3楽章
楽譜付き音源
チェロ弾き達の楽しい語らい。後半には四人による演奏有り。
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このところギターを弾こうと思って取り出す楽器と言えば、本家アグアドや少し前に手に入れた江崎アグアド、加えて時々田邊ロマニというローテーションが多かった。そもそも練習時間そのものがしれたものなので、手持ちに楽器の中にはローテーションに組み入れられないギターも何本かある。最近ちょっと偏り過ぎたかなあ…と反省し、先週末はハウザーを取り出し、久々に弦交換と相成った。


さて何を張ろうかと悩み半分楽しみ半分。手持ちのストックから選んだのは、随分前に手に入れながらずっと放置状態だったドーガル社のディアマンテ・レギュラーテンション。一昨年同じくドーガル社のマエストラーレ弦をラミレスに張ったことがあった。マエストラーレ弦はかなり個性の強い弦で、楽器や弾き手で評価が分かれる。今回取り出したディアマンテ弦は、より伝統的な弦の響きに近いという触れ込みだ。素材は通常のナイロンにカーボン成分を加えたもので、昨今流行りのカーボン弦と伝統的なナイロン弦の中間的性格ということになっている。見た目は透明のナイロン弦そのもの。太さも通常のナイロン弦に近い。手にした感触はやや剛性が強く、ナイロン弦のしなやかさとは違う。張替えは特段変わることなく、いつも通りの作法でハウザーにセットし、ひと晩おいて伸びを修正しつつ弾いてみた。

いつ見ても惚れ惚れする表板!

特徴的なのはやはりモノフィラメントの高音弦。キラキラした倍音成分は少なく、全体として基本が太くしっかり鳴る。弾いている手元ではあまり音量感もなく、音色も地味に感じたが、楽器を身体の正面にセットし、腕を伸ばしてタッチに気を付けながら単音を弾いてみると、抱えて弾いている印象とは違って、エネルギーのある音が楽器から飛び出してくる感じで、音量感も十分。太い音色に変わりはないが、よく通る音でサステインも十分に感じられる。もっともその辺りは弦というよりは楽器の性格が支配的だろう。結果として楽器と弦のマッチングとしては、双方が同傾向の音色感をもった組み合わせといえるかもしれない。まだ張り替え直後ということもあって、弦の張りは少し強めに感じるが、しばらく弾いて馴染むうちに、緊張が少しほぐれ、音色も倍音がのるようになって印象が変わってくるかもしれない。これから練習ローテンションに加えて、少しずつ様子をみていくことにしよう。
以下はこのハウザーで弾いた音源。佐藤弘和「小シシリエンヌ」とカルカッシ25の練習曲から始めの方の3曲。4曲続けて再生される(…はずです)。シシリエンヌは当時楽譜を手にした直後で、あまりにたどたどしく恥ずかしい。カルカッシは拙宅の中でもっとも響きのある玄関ホール(というほどの広さではないが)で弾いたもの。
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数年前に始めた盲導犬パピー育成のボランティア。実は今年始めから新しいパピーを預かっている。

我が家に来て間もなくの頃。
以前からこのブログをご覧いただいている方は覚えているかもしれないが、今回で五頭目になる。先回、先々回と黒ラブ(黒毛のラブラドールレトリバー)だったが、今回はイエロー。上の写真と動画は我が家に来てまもなく、初めての散歩に出た頃のものだ。まだ体重は5キロ程度だった。生後二ヶ月のパピーを預かり、ほぼ一年間育てる。以前も書いた内容だが、この間のプロセスを以下に記しておこう(少々偉そうに書いているが、ほとんどは妻に任せきりです)。
まずは排泄のトレーニング。盲導犬として好きな時に勝手に排泄することは出来ない。人間の声掛けに促されて排泄するよう習慣付ける。次いで基本的なコマンド(sit,down,wait)の修得。盲導犬としての仕事のほとんどは待つこと。人のコマンドに対応出来るようにする。生後3カ月を過ぎた頃から外散歩。よく見かける散歩のように犬の気ままで右左、そちこちで臭い取りの道草、連れいてる人間達の犬トモ井戸端会議…という散歩はいけない。常に人(リーダー)の左横について速めのピッチで歩く。リーダーの歩く止まるに合わせるようにする。もちろん散歩に出る前に排泄は済ませる(排泄をしたら散歩に行ける!と習慣付ける)。そうすれば散歩途中で粗相することはない。
食事は決まった時間に決まった量だけ。人間の食事の際、犬に何かを与えてはいけない。人間の食事は自分とは関係ないことと認識させないと、盲導犬としてレストランに入ることも出来なくなるからだ。「うちの子はご飯になると吠えて教えてくれるのよ」と近所の奥様が言っていたが、それは単なる要求吠えだ。盲導犬として仕事をするには要求吠えがあってはいけない。小さいうちは何かと吠えたりクンクン言ったり、一緒に遊んで!ご飯頂戴!と要求するものだが、そうした犬からの吠えや声には、静かにしなさい!といった応答はしない。吠えたら黙って部屋から出て行ってしまうくらいの対応をする。そのうち吠えても無駄と知り吠えなくなる。
…と書くと随分窮屈そうに見えるだろうが、習慣性の強い犬はこうしたことをよく修得する。素人のボランティアであっても初期のトレーニングは十分可能だ。もちろん窮屈な思いばかりをさせているわけではなく、一緒にボール投げで遊ぶこともある。がしかし、過度に興奮させないということは常に念頭におく。これまで経験した5頭とも、生後半年までにほぼこうした習慣付けが出来上がり、一緒に食事に行ってもいたずらに騒ぐようなことはなかった。もっとも犬種としてラブラドールレトリバーの特性も大いにあるだろう。また、こうした習慣付けは、愛玩用として犬と暮らす場合にも有効だと思う。
さてさて、すでに預かってから半年余りが経ち、少しずつ落ち着きも出てきた。残る期間は四カ月程。秋風が吹き始める頃には、ギターを弾くぼくの傍らで静かにダウンして待っていられるようになるだろうか…
■■■盲導犬に出会ったら…愛ある無視を!■■■
・声をかけたり、じっと前から見たり、口笛をならしたりしない。
・食べ物を見せたり、あげたりしない。
・盲導犬をなでたり、ハーネスを触ったりしない。
・自分のペットと挨拶させようと近づけたりしない。
■■■犬の十戒■■■
<1>私の一生はだいたい10年から15年です。あなたと離れるのが一番つらいことです。どうか、私と暮らす前にそのことを覚えておいて欲しいのです。
<2>あなたが私に何を求めているのか、私がそれを理解するまで待って欲しいのです。
<3>私を信頼して欲しい、それが私にとってあなたと共に生活できる幸せなのですから。
<4>私を長い間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。あなたには他にやる事があって、楽しみがあって、友達もいるかもしれない。でも、私にはあなたしかいないのです。
<5>時々話しかけて欲しい。言葉は分からなくても、あなたの声は十分私に届いています。
<6>あなたがどのように私を扱ったか、私はそれを決して忘れません。
<7>私を殴ったり、いじめたりする前に覚えておいて欲しいのです。私は鋭い歯であなたを傷つけることができるにもかかわらず、あなたを傷つけないと決めているのです。
<8>私が言うことを聞かないだとか、頑固だとか、怠けているからといって叱る前に、私が何かで苦しんでいないか気づいて下さい。もしかしたら、食事に問題があるかもしれないし、長い間日に照らされているかもしれない。それとも、もう体が老いて、弱ってきているのかもしれません。
<9>私が年を取っても、私の世話はして下さい。あなたもまた同じように年を取るのですから。
<10>最後のその時まで一緒に側にいて欲しいのです。このようなことは言わないで下さい、「もう見てはいられない。」、「居たたまれない。」などと。あなたが側にいてくれるから最後の日も安らかに逝けるのですから。忘れないで下さい、私は生涯あなたを一番愛しているのです。
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異例に早い梅雨明けだ、コロナ第7波だ…などどいっているうちに気付けば八月も下旬。週末日曜のきょうはこれといった用事もなく過ごす。昨夜は少し遅くまで部屋の片付けやら、溜まった身辺雑事の処理。BGMにと音盤棚での占有率20%ほどのジャズの盤を物色。久しぶりにこの盤を取り出した。

エラ・フィッツジェラルド(1917-1996)のヴォーカルとジョー・パス( 1929-1994)のギターによるデュオ。エラにとっては少しブランクがあったのち、ノーマン・グランツが1973年に設立したパブロレーベルから出した復帰作。録音も同年。これが大そうヒットして、以降4作ほど続編が出たと記憶している。この盤はちょうど学生時代にFMで聴き、カセットに録って何度となく聴いた懐かしい盤。後年、御茶ノ水の中古レコード店で手に入れた。今でもCDで版を重ねている。
70年代以降のエラは全盛期を過ぎ、この盤を出した頃もすでに病に冒されていたという。ヴァーヴ時代のバリバリのエラはもちろん素晴らしいが、この盤に聴くバラードも味わい深い。いやしかし、その後の彼女の人生を思いながらとなると、味わい深いというほど単純なエンターテイメントとしては聴けないところがある。晩年の彼女は大変な日々を過ごした。
全編おなじみのスタンダードをときに甘くチャーミングに、ときに抑え気味の表情で歌うエラ。全盛期を過ぎたとはいえ、音程の確かさ、ダイナミクスのコントロールとも完璧だ。そしてエラの歌声に寄り添うようなジョー・パスのウォームなギターサウンドがまたいい。加えてこのアルバムは1973年録音にもかかわらずモノラル録音(音質そのものはきわめて良好)。モノクロのジャケット共々、このアルバムのコンセプトが伝わってくる。
この盤のB面1曲目ガーシュインの名曲「A Foggy Day」
このコンビによる1975年のライヴ。スティーヴィー・ワンダーの「You Are The Sunshine Of My Life」
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お盆休みも終わって日常再開…といってもぼくの場合は今年もこの時期休みはなく、せっせと仕事。暑さが少し癒えたら休みを取ろうかと思っているが、そういえば昨年も一昨年も同じように考えていながら、結局仕事にアップアップしてまともに休めなかった。まあ、いいけど…。さて週末金曜日。少し前に聴いたハイドンの続きを聴くことにした。


取り出した盤は数年前に手に入れたエルネスト・アンセルメ(1883-1969)による一連のボックスセット中のEuropean_Tradition。この中にハイドン作品を収めた3枚のディスクがある。少し長くなるが以下に記しておく。
Disc15
ハイドン:交響曲第82番ハ長調「熊」
ハイドン:交響曲第83番ト短調「雌鶏」
ハイドン:交響曲第84番変ホ長調
Disc16
ハイドン:交響曲第85番変ロ長調「王妃」
ハイドン:交響曲第86番ニ長調
ハイドン:交響曲第87番イ長調
Disc17
ハイドン:交響曲第22番変ホ長調「哲学者」
ハイドン:交響曲第90番ハ長調
ハイドン:トランペット協奏曲変ホ長調 Hob.VIIe-1
パオロ・ロンジノッティ(トランペット)
フンメル:トランペット協奏曲変ホ長調
ミシェル・クヴィット(トランペット)
いわゆるパリ・セットと称される第82番から87番の交響曲が並ぶ。後年のロンドン・セット(ザロモン・セット)に比べるとやや小ぶりながら、いずれもハイドンの熟練の技が光る曲ばかりだ。録音は1957~1968年。スイスロマンド管弦楽団の本拠地ジュネーヴ・ヴィクトリアホールでのセッション録音。きょうはこのうちDisk15をプレイヤーにセットし、ハイドンの交響曲第84番変ホ長調を選んでプレイボタンを押した。
アンセルメとその手兵スイスロマンド管弦楽団(OSR)と言えばもっぱらフランス・ロシア物の色彩豊かな演奏を思い出し、独墺系の曲のイメージは薄かった。あるときアンセルメ&OSRのブラームスを聴いたとき、そうしたかつてのイメージはまったく作られたものだと合点した。重厚長大にして激渋のブラームス…ではないが、堂々として推進力に満ちた演奏は立派のひと言だった。アンセルメの独墺系侮りがたし…そんな気持ちになって、このボックスセットも手に入れた経緯がある。
ハイドンの交響曲第84番はパリセットの他の曲のように副題もなく演奏頻度も少ないようだが、全4楽章貫禄十分の構成で他の曲に勝るとも劣らない。第1楽章は穏やかな序奏で始まる。低弦群が中々雄弁な響きを聴かせる。主部はチャーミングで軽やかに始まり、各声部が掛け合いながら進む。時折り転じる短調フレーズが印象的だ。展開部と再現部も推進力は衰えない。第2楽章はゆったりとした4分の3拍子を取る変奏曲。短調に転じた変奏では深い感情表現が聴かれる。第3楽章は型通りのメヌエット。堂々とし過ぎず、この曲全体に通じるチャーミングな曲想だ。終楽章はソナタ形式を取り、ハイドンの技巧が冴える。目まぐるしい転調を繰り返しながら常に推進力を維持し活力にあふれて素晴らしい効果を上げている。
アンセルメ&OSRの陽性の演奏とそれを捉えた英デッカの明解な録音はこの第84番の曲想にぴったりだ。ピリオドスタイル普及以前のそして伝統的な独墺系路線とも異なる、大らかで伸びやかなハイドンで捨てがたい。
この盤の音源。全4楽章
パーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団による演奏。
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