レオ・ブローウェル(G)現代ギター作品集



十月最後の週末日曜日。早朝から町内自治会用務。公園清掃に精を出す。このところの冷え込みで、園内の欅も色付き始めた。次回清掃の頃には、盛大に葉を落とすに違いない。さて、その後も野暮用少々。昼過ぎになってようやく一服。音盤棚を見回し、この盤と目が合ったので取り出した。


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ギタリストとしてのレオ・ブローウェル(1939-)が弾く現代ギター作品集。1972年録音。手持ちの盤は十年程前にタワーレコードが企画するヴィンテージ・コレクションとして出たときのもの。オリジナルは独グラモフォンで、初CD化かつ日本初発売とのこと。収録曲は以下の通り。当時の先端的なギター曲が並ぶ。

1. シルヴァーノ・ブッソッティ:ララ
2. モーリス・オアナ:もし朝日が昇ったなら
3. ジュゼプ・メストレス・クアドレニ:ギターのための前奏曲
4. ジローラモ・アリーゴ:ギターのためのセレナード
5. レオ・ブローウェル:永劫の螺旋
6. クリストバル・アルフテル:コデックスI
7. フアン・ブランコ:コントラプンクト・エスペシアル III-c

レオ・ブローウェルはギター弾きにはお馴染みの名前…ではあるが、実際に作曲家・演奏家としての認知度はこの盤の録音された70年代辺りに比べると、昨今は低いのではないだろうか。 ブローウェルは1939年にキューバのハバナに生まれ、恵まれた環境の中で音楽教育を受けた。20歳でジュリアード音楽院に入って作曲法を学んでいる。ギター奏者としても幼い頃から父の手ほどきを受け、その後もイサーク・ニコラという名教師にもついて腕を上げた。16歳のときにはギター曲<組曲第1番>を作っている。作曲家と演奏家の二足のわらじを履いたブローウェルは60年代後半から70年代初頭にかけていくつかの録音を残している。「現代ギター作品集」と題されたこの盤は、ブローウェルがギタリストとして、また作曲家、取り分け現代音楽の作曲家として名を成し、高い評価を受けた時期に録られたものだ。

ギターという楽器はもっともポピュラーな楽器の一つだが、その多彩な音色表現や特殊奏法など、現代音楽の求めに高いレベルで応じるポテンシャルをもった楽器の一つといえる。今ではあまり演奏される機会のない収録曲はいずれも70年代初頭の、今と比べると先端的な現代音楽への指向がまだまだ力を持っていた時期のもので、そうしたギターの<意外な>一面を縦横に駆使して多彩な表現を聴かせてくれる。中ではモーリス・オアナの「もし朝日が昇ったなら」と、ブローウェル自作の「永劫の螺旋」がよく知られる。 60~70年代は現代音楽に傾倒したブローウェルだが、その後は調性感の強い佳曲も残し、「11月のある日」「黒いデカメロン」は今どきのギター弾きにもよく知られる。残念なことにブローウェルは80年代に指を痛め、演奏活動からは身を引いてしまった。現在は指揮活動がメインのようだ。


手持ちの晩からアップ。自作自演「永遠の螺旋」


ブローウェルの出世作ともいえる「舞踏礼賛」 ストラヴィンスキーへのオマージュとして作曲されたという。現代のコンサートでもよく取り上げられる。



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バッハ カンタータ「われらが神は堅き砦」BWV80



週末金曜日。今週も何とか終了(ふう~っ…)。さて今夜は久しぶりバッハのカンタータを聴こう。いつもながらのボックスセットから、今月末の日曜に聴くべき曲を取り出した。


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バッハのカンタータ「われらが神は堅き砦」BWV80。爆安ブリリアントクラシックスのバッハ全集ボックスの一枚。ネーデルランド・バッハ・コレギウムによる演奏。フリーデマン・バッハが付け加えた打楽器とトランペット等は除かれた編成で演奏されている。

ルターの宗教改革記念日である1724年10月31日に際し作曲されたとされ、ルーテル派教会暦では10月31日を前にした日曜日を現在も記念日として礼拝を営むそうだ。ルーテル派のコラールとしてもっとも有名なものの一つである「われらが神は堅き砦=神はわがやぐら」が使われている。メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」でも使われている有名なテーマだ。全8曲は以下の構成。

第1曲 合唱『われらが神は堅き砦』(Ein feste Burg ist unser Gott)
第2曲 アリア『神より生まれし者はすべて』(Alles, was von Gott geboren)
第3曲 レチタティーヴォ『思い見よ、神の子とせられし者よ』(Erwage doch, Kind Gottes)
第4曲 アリア『来たれ、わが心の家に』(Komm in mein Herzenshaus)
第5曲 コラール『悪魔が世に満ちて』(Komm in mein Herzenshaus)
第6曲 レチタティーヴォ『さればキリストの旗の下に』(So stehe denn bei Christi blutbefarbten Fahne)
第7曲 二重唱『幸いなるかな』(Wie selig ist der Leib)
第8曲 コラール『世の人福音を蔑ろにせしとも』(Das Wort sie sollen lassen stahn)

第1曲冒頭からニ長調の壮大なコラールで開始される。声楽四声による大規模なカノンで、オルガンの重低音も加わって壮麗に響く。第2曲では弦楽の少しせわしない動きをバックに、ソプラノが例のコラール「神はわがやぐら」を歌い、バスがそれを支える。ソプラノにユニゾンで合わせるオーボエがなかなかよいアクセントになっている。第3曲バスのレチタティーヴォに続き、第4曲ではロ短調に転じてオブリガート・チェロに導かれソプラノのアリアが美しく歌われる。第5曲のコラール「悪魔が世に満ちて」はめずらしく4声の斉唱(ユニゾン)で歌われ、戦いを象徴するかのようなオケパートのせわしない動きの中で、力強い神のユニゾンが響く。

ぼくは特定の宗教的背景を持たないので、このカンタータの元になっている「われらが神は堅き砦」のテキストそのものにはまったく不案内であるが、戦いと勝利への道が、全編を通して陽性の響きと共に描かれる。冒頭の壮麗なコラールに加え、オーボエやオーボエダカッチャのオブリガートが美しさを引き立てる、素晴らしい曲だ。

バッハは彼が過ごしたその土地土地で、教会歴にそった毎日曜のミサのためにカンタータを作曲していった。300年をへた今、それをたどるように毎週一曲ずつ、そのときの教会暦に沿ったカンタータを聴くという試みは多くのバッハファンがすでに行っているところだが、なるほど、バッハを聴く楽しみと意義、ここに極まれリというところだろうか。


以下は合唱団をおかず、各声部1名(OVPP=One_Voice_Per_Part)による小編成での演奏。躍動的で小編成ながらまったく不足感はない。録音状態もいい。ヘッドフォンで聴いていてもオルガンのペダル音とコントラバスの低音がしっかりと聴こえる。 冒頭からカノン風にテーマが引き継がれ1分14秒にコントラバスとオーボエが例のコラールを提示して全声部が合体する。ジェズアルド・コンソート・アムステルダムによる演奏。チェンバロを弾き振りしているのはピーターヤン・ベルダー。多くの古楽セッションにも参加しているベテランで、手持ちブリリアント盤バッハ全集にも顔を見せている。19分50秒からオーボエダカッチャのオブリガートが美しい(少し緊張しているかな…)。


ザンクト ガレン・バッハ財団による、より大きな編成での演奏。!マークが出るが、YouTubeで見るをクリックすればOK



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木住野佳子「fairy tale」



今週前半、関東地方は冷たい雨に見舞われ、当県上越国境の山々も冠雪。平野部も冷え込んだ。辺りの樹々も色付き始め、秋本番だ。久しぶりに快晴だったきょう週半ばの水曜日。手を焼いていた案件が一つ片付き、束の間の休心。ネクタイ、もといベルトを緩めて、さて今夜はジャズだ。


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木住野佳子(P)の実質的なデヴューソロアルバム。1995年NY録音。収録曲は以下の通り。

1.ビューティフル・ラヴ
2.フェアリー・テイル
3.ジ・アイランド
4.いつか王子様が
5.ファンカレロ
6.星影のステラ
7.オンリー・トラスト・ユア・ハート
8.誓い
9.ラフィット'82
10.ゴーン
11.ウィズ・ア・リトル・ソング

お馴染みを通り越し、またかの声も聞こえてきそうな選曲。しかしジャズに限っていえば素材の曲は決定的な要素ではなく、料理の仕方こそが命。名演あって名曲なしと言われるほど。それほどプレイヤー次第で曲は生まれ変わる。この盤に聴くスタンダードの数々は、決して意表を付くような変身を遂げているわけではないが、「ピアノにもルージュを」というアルバムコンセプトのもと、見事に統一された心地よさに満ちている。そういわれてあらためてアルバムを手に取ってみると、ジャケット写真はモノクロームを背景に「fairy tale」の文字だけが赤く染め抜かれている。

彼女は桐朋学園で正統派のクラシックを修める以前からあちこちのロックやフュージョンのバンドに出入りしてはセッションを重ねていたという。天性の耳と勘の良さでデビュー前から知る人ぞ知る存在であったようだ。そんな才気あふれる彼女がNYの腕利きジャズメンをバックにくつろいだプレイを聴かせてくれる。特にエディ・ゴメスとマーク・ジョンソンのベースが雄弁で、抜群の録音と相まって、良質のヘッドフォンで聴くと50Hzを下回る深く静かに伸びるベースの基音が楽しめる。スムースジャズというほどユルみ切っているところはなく、適度に緊張が高まるプレイもあって飽きることがない。久しく新譜を聴いていないが、最近の彼女はどんな風なのかしらん。


このアルバムの第1曲「ビューティフル・ラヴ」


同 「アイランド」


同 「フェアリー・テイル」


彼女のオリジナル曲「Nostalgia」 39秒ほどのイントロののち、都会的でジャジーなスローボッサが続く。



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モーツァルト 協奏交響曲 K.364



気付けば十月も下旬。相変わらず仕事は少々タイトで、秋の風情を楽しむ余裕に欠ける毎日だ。こんな風にあっという間に人生も終わるのかぁ、嗚呼。 さて、それはともかく…週明け月曜日。きょうも程々に頑張って業務に精励し、いつもの時刻に帰宅。今夜は少し前から聴こうと思っていたこの盤を取り出した。


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カール・ベーム(1894-1981)とベルリンフィルのメンバーによるモーツァルトの協奏交響曲K.364。手持ちの盤は70年代終盤に出ていたグラモフォンの廉価盤シリーズの一枚で、このヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364と管楽器のための協奏交響曲K.297aとがカップリングされている。

カール・ベームといえば、ぼくら世代は70年代のウィーンフィルとのコンビで人気を博していた頃を思い出す。日本にもウィーンフィルと再三来日して万雷の拍手を受けた。それに先立つ60年代、ベームは当時カラヤンの手兵となっていたベルリンフィルとモーツァルトやシューベルトの交響曲などを録音している。60年代は契約の関係でウィーンフィルは英デッカとの録音が主体で、ベームと独グラモフォンへ録音することが出来なかったと何かで読んだ。70年代になってこの制約がなくなり、ベームはウィーンフィルとベートーベンやブラームスの交響曲全集を立て続けに録音する。このモーツァルトは60年代半ばの録音で、当時ベルリンフィルと進めていたモーツァルト交響曲全集録音の一貫として録られた。独奏を務めているのは、当時のベルリンフィル弦楽セクション第1奏者であったトーマス・ブランディス(ヴァイオリン)とジュスト・カッポーネ(ヴィオラ)である。

いつも通り、4グラムの針圧をかけたSPU-Gを静かに下ろす。わずかなスクラッチノイズに続いてベルリンフィルのトゥッティが響く。しっかりとした骨格が分かる響きが印象的だ。流麗、なめらか、美音、というキーワードには遠い。これがベームの個性であり、ベルリンフィルのベームに対する応答なのだろう。特に第2楽章は堂々とした展開でスケールが大きい。それでも同じコンビによるモーツァルトの交響曲録音に比べると、この盤は曲の性格からた柔和でしなやかな表情も感じさせる。

二人の独奏は、中音域がしっかり詰まった充実した音とベーム&ベルリンフィルのやや古風な曲の運びにマッチした弾きぶりが印象的で、単なる美しさだけを求める姿勢とは対極だ。特にジュスト・カッポーネのヴィオラはまるでチェロのように太く響く。第2楽章の憂いに満ちたメロディーとヴァイオリン・ヴィオラ両独奏パートの掛け合いには、この盤の二人のような音色がむしろ似つかわしいかもしれない。無骨ともいえるベームのスタイルも懐かしい一枚だ。


この盤の音源。全3楽章。


スイス北部アールガウ州に本拠地をおくアールガウ・フィルハーモニー管弦楽団による今年5月の演奏。



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ブロムシュテット&N響のシューベルト



きのう10月21日は都内での仕事を5時に終えたあとNHKホールへ。予定していたブロムシュテット指揮のN響定期に足を運んだ。


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コロナ禍になる数年前から、すでに90歳を目前にしていたブロムシュテットとN響の演奏をFM放送で何度か聴き、来年こそはと思いながら何年かが過ぎてしまった。今回ようやく満願成就。チケットも早々に予約してこの日を楽しみにしていた。

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NHK交響楽団第1966回定期公演
シューベルト/交響曲 第1番ニ長調 D.82
シューベルト/交響曲 第6番ハ長調 D.589
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
管弦楽:NHK交響楽団
2022年10月21日(金)19:30~ NHKホール
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久しぶりの渋谷そしてNHKホール。再開発で渋谷駅はすっかり様変わり。右も左も分からない別世界になってしまった。何とかスクランブル交差点に出て神南方面に向かって歩き始めると、ようやく土地勘が蘇ってきた。そしてNHKホールはかつてのまま。すでに半世紀の歴史を刻み、田舎者のぼくにとってもいくつかの思い出が残る。

18時30分開場。開演の19時半まで1時間あるが、18時45分からミニコンサートがあるとのことで、ロビーで時間をつぶすことなく着席。ほどなくステージにカルテットの面々が登場し、シューベルトの弦楽四重奏曲第6番ニ長調から第3楽章と第4楽章が演奏された。聴く側にとって本番前のウォーミングアップとして粋な計らいだ。

今回のブロムシュテット指揮の公演、プログラムはマーラーの9番とシューベルトの1番・6番、それとソリストを迎えたシベリウス/ピアノ協奏曲・ニールセン/交響曲第3番の三つが用意されている。眼目はマーラーとシューベルト。どちらに行くか、両方行くか、大いに悩んだが、公私予定もあってこの日のシューベルトプロのチケットを取った。ぼくにとってのブロムシュテットはやはり彼が50代だった頃のベートーヴェンやシューベルト、ブルックナーのイメージが強い。かつてシュターツカペレ・ドレスデンと録音したそれらの音盤はいずれも彼の壮年期の記録として輝く。そんなこともシューベルトプロを選んだ理由の一つだ。95歳の誕生日を前にした今年6月。転倒して怪我を負ったとの情報があって心配したが、いくつかの予定キャンセルはあったものの無事復帰。予定通りの来日となった。

定刻を少し回って団員入場。そしてコンサートマスターに腕を引かれながらブロムシュテットもステージに進んできた。客電が落ちチューニングが始まる。客席は9分の入り。ざわめきが静寂に変わり、ホールの空気が張りつめる。95歳のマエストロ。昨年までは自らの歩みで指揮台に上がり、そのまま立って指揮を取ったが、今年は椅子に腰をおろした。6月の転倒が無かったならとも思うが、年齢を思えば無理からぬことだろう。

プログラムの最初は交響曲第1番ニ長調。オケは中編成の対向配置10型(10-10-6-4-3)。ブロムシュテットがあまり思い入れの間を取らずにサッと腕を下した。冒頭のトゥッティが明るく立ち上がる。椅子に腰かけた後ろ姿ながら、ブロムシュテットが上半身と両手を使ってフレーズの表情を丁寧に示している様子がよく分かる。スコアのページも丁寧にめくっている。速からず遅からずのいいテンポだ。曲想からして深刻ぶるところはなく、過度な緊張を持ち込むこともない。終始明るく軽快だ。印象的だったのは第2楽章。ロマンティックな表情をやや強調してたっぷりとした歌を聴かせてくれた。
第1番の演奏が終わると休憩なしで第6番ハ長調へ。オケの規模を12型(12-10-8-6-4)に拡大。やはり明るい表情の曲ながら響き全体の重心が下がり、ぐっとシンフォニックになる。ブロムシュテットは、各パートへの出入り指示、フレーズの表情など、少ない動きながら十分な指揮ぶりで、95歳にして頭の中から身体の隅々まで音楽が鳴り切っていることがよく分かる。この曲ではN響の木管群の冴えた音で彩りを添えてくれた。


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(最近は終演後のカーテンコールの際、スマートフォンでの撮影が許可されている)


やはりシューベルトプロにしてよかった。シューベルト初期の作品ながら、十分にシンフォニック。もちろん曲想は明るく穏やか、かつ軽快。95歳という年齢ばかり気にしながら妙に深刻に思い入れて聴くこともなかった。ブロムシュテットが手馴れた曲をいつもの調子で笑顔でサッとやって…そんな軽みのある演奏だった。

演奏を終えるとブロムシュテットは、N響のメンバーをパートごとに立たせて自ら拍手を送り、そして最後に指揮台から降り、客席を向いて万雷の拍手に応えた。「95歳、95歳って言わないでよ。いつもと同じだから…」そんなつぶやきが聞こえて来そうだ。団員の手を借りながら何度かカーテンコールを受ける姿を目に焼き付け、かつてテレビで観た80年代壮年期の指揮ぶりをそれに重ねて、半世紀近い来し方を思いつつNHKホールをあとにした。深まる秋、青春の息吹も明るいシューベルト、95歳にして変わることないマエストロ、不思議な三位一体を感じながらも幸せなひとときだった。


ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンによるシューベルト交響曲第1番全4楽章


同 第6番全4楽章



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マルケヴィッチのロシア物



秋たけなわの十月半ば。残念ながら公私ともに少々慌ただしく、行楽の余裕もなく日々過ぎる。きょうもいつも通りに業務に精励し、夜半前の音盤タイム。久しぶりにこんな盤を取り出した。


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音盤のジャンルとして管弦楽小品集というものがある。腕利きの指揮者やオーケストラが、その実力のほどを示すために管弦楽曲を何曲か収録することが多い。ポピュラー小品を集めたもの、オペラの序曲や間奏曲を集めたもの、国単位でまとめたドイツ管弦楽曲集、フランス近代管弦楽集といった感じだ。当然ロシア管弦楽集というものもある。お国物ということでロシアの指揮者、オーケストラの盤が多いのは当然だが、それと並んでフランス系の指揮者、オーケストラの盤が多い。近代ロシアの管弦楽曲が色彩的な管弦楽手法を駆使していることから、フランスの系譜に通じるのだろう。かつてのアンセルメ&スイスロマンド管弦楽団、英デッカがアンセルメの後継者として売り出したデュトワ&モントリオール響、そしてこのイーゴル・マルケヴィッチがラムルー管弦楽団を振ったこの盤が思いつく。マルケヴィッチ(1912-1983)はウクライナのキーウ(キエフ)貴族家系の出だ。幼いときにパリへ出たので、この盤のように仏系オケとの協演も多い。

一目見たら忘れないようなジャケットデザインがある。指揮者マルケヴィッチを正面からとらえたこのジャケット写真も相当インパクトがあると思うが、どうだろう。眼光鋭いようで、実は不敵な笑みを浮かべているようにも見える。一言で言えば、イケてるを通り過ぎてイッてしまっている。50年代終盤の録音。収録曲は以下の通り。

1.歌劇≪ルスランとリュドミラ≫序曲
2.交響詩≪中央アジアの草原にて≫
3.交響的絵画≪ヨハネ黙示録から≫
4.序曲≪ロシアの復活祭≫作品36
5.歌劇≪五月の夜≫序曲
6.組曲≪金鶏≫(4つの音楽的絵画) 序奏とドドン王の眠り
7.組曲≪金鶏≫(4音楽的絵画) 戦場のドドン王
8.組曲≪金鶏≫(4つの音楽的絵画) シュマハ女王の踊り-ドドン王の踊り
9.組曲≪金鶏≫(4つの音楽的絵画) 婚礼の行列-ドドン王の死-終曲

ロシア管弦楽集でのお約束通のように、グリンカ作曲「ルスランとルドミュラ」序曲で開始。ムラヴィンスキー&レニングラードフィル盤には及ばないが、切れ味鋭い展開。しかもこの盤は予定調和的には終わらない。途中、一般にはメゾピアノ程度で叩かれるティンパニのフレーズがフォルテで強打されギョッと驚く。次に同じパターンが出てくるときに、二度目は驚かないぜと身構えていると、今度はふっと抜いてピアノで叩く。そのときジャケット写真のマルケヴィッチを見ると、不気味な笑みに見えてドキッとするのだ。

3曲目のリャードフ作曲;交響的絵画「ヨハネ黙示録から」は多彩な表現を秘めたいい曲だとあらためて感心した。6分弱の小品だが、曲の後半は弦楽器群、管楽器群が交互に短いフレーズでクレッシェンド・ディクレッシェンドを繰り返しながら進行し、一聴してマーラー交響曲の一節かと思うほどだ。他の収録曲、リムスキー・コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」や歌劇「五月の夜」序曲、組曲「金鶏」もオーケストラの機能と多彩な音色を駆使して聴き応え十分。マルケヴィッチは色彩的なこれらの曲を明晰に描き出す。もう少し演奏される機会があってもいいように思う。

この盤のマイナスポイントを挙げるとすれば録音状態だろうか。マルケヴィッチの意図なのか録音セッションの条件(複数のホールで収録されている)なのか不明だが、いくつかの曲で低音が薄く中高音が張り出した音響バランスで驚く。中高音が勝っているため各楽器間の分離はよく、確かにマルケヴィッチの分析的な曲の組立と意図が一致しないでもない。録音エンジニアのクレジットがないで不明だが、フランス人の音響バランスはこんなものなのだろうか。60年代前後の低音の充実したドイツグラモフォン録音とは思えない音作りだ。このCDは2006年に「マルケヴィッチの芸術」と称して発売されたシリーズ中の一枚。マルケヴィッチは音盤セールス上マイナーな存在かもしれないが、指揮者としての実力、楽曲の分析力など極めて高く評価されていて、このロシア管弦楽名曲集でもその実力のほどが垣間見られる。


手持ちの盤からアップ。歌劇≪ルスランとリュドミラ≫序曲


同 交響詩≪中央アジアの草原にて≫


同 交響的絵画≪ヨハネ黙示録から≫



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エドアルド・カテマリオ(G)



今夜は久しぶりにギター。取り出したのは、この盤。


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イタリアのギタリスト:エドアルド・カテマリオ(1965-)がドメニコ・スカルラッティ他イタリアンバロックのチェンバロ曲等からの編曲物を弾いた盤。十数年前に買い求めたARTSレーベルの一枚。お馴染みのスカルラッティのソナタが9曲、それとペルゴレージ、ディランテのソナタから3曲が収められている。1994年録音。エドアルド・カテマリオは90年代初頭にいつくかの国際コンクールで優勝。来日経験もある。現在はYouTubeチャンネルも開設している

カテマリオの弾きぶりは実に明快で歯切れがいい。特に音を引きずらずややスタカート気味にコントロールするところが元のチャンバロを思わせる効果を上げていている。一方でスカルラッティが時折みせる抒情的な曲想ではテンポを落として表情豊かに弾き進めて、懐の深いところもみせている。

スカルラッティの作品は、内声部がぎっしりでポリフォニックなバッハなどと違い、イタリア人らしい明解な旋律と人生の過半を過ごしたスペイン風の曲想も交え、また大胆な転調やリズムの妙もあって、ギターの特性にもよく合う。多くのギター弾きはバロックというとバッハ志向が強いが、スカルラッティなどはもっと弾かれてよいように感じる。 なおこの盤でカテマリオはエンリケ・ガルシア1918年作No.202のギターを使っていて、いかにもオールドスパニッシュギターらしいどっしりとした低音と反応のいい高音が録音からも伝わってくる。


この盤から9曲をピックアップした音源。曲目は概要欄参照。


ペルゴレージのソナタ・ヘ長調。原曲はオルガン曲。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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