令和四年寅年回顧



今年も残すところ僅かとなった。本ブログの年間ルーチンにより、年内最終更新は一年の回顧ということになるのだが、さて…。これ買いました、見ました、食べました…高齢者のそんな与太話を回顧してどうなる…まあ、そう言わずに気を取り直して…ブログタイトルになぞらえて思い付くまま記しておこう。

■六弦■
昨年から顕在化した指の不調(へバーデン結節確定診断)。日々悪化している状況ではないが、楽器を手にする度に将来への不安がよぎる。将来って、もう立派な高齢者なのだから大した将来もない…ならばということで、あまり気にせず調子のいいときは躊躇せず弾くことにした。


シャンド三点セット
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今年手に入れた楽譜の一部
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そんな中、今年夏前に出会ったのが19世紀末から20世紀初頭に活躍したアーネスト・シャンド(英1868-1924)だ。きっかけはYouTubeで聴いたイタリア人ギタリスト:アルベルト・ラ・ロッカの演奏。現存するシャンドの曲の多くを録音したその演奏は、19世紀サロン風音楽の楽しさを伝える素晴らしい弾きぶりだった。20年前に現代ギター社から出版されながら品切れだったシャンドの曲集を運よく手に入れ、更にメールをやり取りしたロッカからの情報でイェーツ編の新しいシャンド曲集も手元におくことが出来た。 シャンドの現存する作品の多くの収めた250頁を超えるその曲集は、ギターで奏でるクラシカルでロマンティックな小品の手本が満載。どこから弾いても楽しく、まさに時の経つの忘れ次々と弾き続けてしまう程だ。YouTube音源に飽き足らずに購入したロッカの弾く三枚組CDを手に入れたこともあって、その多くの曲を鼻歌で歌えるようになってしまった。振り返ればこの半年、ギターに関してシャンド漬け状態。いくつかものになりそうな曲もあるので、いずれ録音してみよう。

■音曲■
レコードもCDも相変わらず在庫確認の日々。新たな購入は先に記したロッカのシャンド作品集だけ。給料が出た週末に勇んでショップに向かった頃が懐かしい。知人に「与太さん、レコードとCD、将来どうするの?」と聞かれたことがある。音盤道楽として数千枚は大した数ではないが、いずれ処分しようと思っていて、その時期と方法をどうするか腐心している。家族や近親者で引き受けてくれるのが一番簡単だが、その線がないとなると売却か廃棄しかない。出来ればふた世代くらい下の同好の士がいれば、そういう人に引き継ぎたいと考えている。ただ今ではない、じゃあいつなんだ、と堂々めぐりで今年も暮れた…嗚呼

■覗機関■
60代後半になったが、今のところフルタイム勤務。日常的なリスニングは夜半前の限られた時間になる。アンプの灯を入れ、ゆったりくつろいでという時間は中々取れない。いきおいヘッドフォンとPCで安直リスニング。そんな時間のために気分転換も兼ねてお手軽なヘッドフォンを買った以外、オーディオのハードウェアは変化なし。5年前に入れたアキュフェーズのセットとスピーカーはAvalon_Eclipseと2S-305の双頭。対照的な個性のスピーカーを入れ替え可能だが、このところはずっと305が鎮座している。 しかし音盤同様、こちらも終活対象予定。スピーカー、パワーアンプいずれも50キロ前後の重量級。今はまだ自力で何とか出来るが、いずれ手軽なプリメインアンプと小型スピーカーにするつもりだ。ただ今ではない、じゃあいつなんだ、と堂々めぐりで今年も暮れた…嗚呼again

■その他■
コンサートには計4回足を運んだ。もっと行きたかったが、公私共程々にあわただしく叶わなかった。中では10月にブロムシュテット&N響のシューベルトが聴けたのはラッキーだった。昨年までと違い、椅子に腰かけての指揮だったが、身振り手振り表情など、変わらぬ健在ぶりで安堵。来年もと願わずにはいられない。 歌舞伎は劇場へは行けずシネマ歌舞伎を2本。仁左衛門・玉三郎の「桜姫桜文章」と「吉田屋」。いずれも二人の美しさと映像作品としての素晴らしさを堪能した。放蕩息子の襲名披露はあまり興味はないが、この二人はまだまだ見届けたいと思う。

さてさて、そんなこんなで今年も終幕。三年経過したコロナ禍も終息未だ見通せない中ではあるが、来年は公私ともちょっと大きな変化がある見込み。どうなるのかな…期待半分・諦め半分の年の瀬だ。 マイペースな与太話にお付き合いいただいた方々には、コメント、拍手、バナークリックでの応援、ありがとうございました。来年も道楽人生成れの果ての御粗末を続ける予定。引き続きよろしくお願い致します。


最後に、例によって年の瀬の長講一席。志ん朝さんの冬噺二題で年越しを。





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ダイヤトーン開発物語「音づくりに生きる」



少し前、非公開のコメントいただいた。三菱ダイヤトーンのスピーカー2S-305に関連してこのブログがヒットしたとのこと。一度手放した2S-305をその後買い戻したという以前の記事に触れ、その方も同じような経緯をたどったとのこと。この手の話、同胞の輩にはあるあるネタのようだ。そんなこともあって手元にあるこの本を久しぶりに引っ張りだした。


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ダイヤトーン開発生産拠点だった往時の三菱電機郡山製作所
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昭和61年1986年にダイヤモンド社から出た「音づくりに生きる」。~ロボットと名人芸の結晶「ダイヤトーン」開発物語~と副題がついている。米山義男と後藤慶一というテクニカルライターが書いたいわゆる企業本だ。内容は表題から押して知るべしのもので、一時代を築いた三菱電機のスピーカーブランド「ダイヤトーン」の誕生から最盛期、そしてデジタル時代を迎えて新たな挑戦に挑む姿が描かれている。この本、企業本の常として相応の冊数が社内配布されたのか、発刊から40年近く経ちながら時々古本で見かける。今もアマゾンを覗いてみたら2冊がリストされていた。

ラジオ受信機用から始まりテレビそしてステレオ時代と、音響機器の需要は昭和の電気機器産業にとっては大きなカテゴリーだった。三菱ダイヤトーンスピーカーはそんな時代背景と、三菱グループという広範な技術資産と開発能力との上に花開いた。とはいえ、多くの昭和の技術開発ストーリーにもあるように、ダイヤトーンスピーカーも幾人かの技術者の寝食を忘れた努力、資材・生産・営業部門の多くの人々の人間力があって成立した。この本にもそうした人々の物語がいくつかの印象的なエピソードと共に描かれている。70年代の貧乏学生時代、ダイヤトーンのフルレンジP-610を自作の後面開放箱に入れ、貧弱な自作真空管アンプで鳴らして多くの音楽聴いてきた身には、この本で紹介されたエピソードにより当時の光景がリアルに蘇る。


当初業務用であった2S-305を一般市販した際、大量の受注残を抱え、販売停止の新聞告知がなされた。
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2S-305のラウンドバッフル加工
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中でも現在まで語り継がれるダイヤトーンのレガシーと言えば、NHKとの共同開発による放送局用モニター2S-305だろう。ぼくが2S-305に出会ったのは70年代半ば。大学一年の時に知り合ったある恩師宅だった。その音はまさに衝撃的だった。自分の貧弱なオーディオを比べるまでもなく、こんな音があったのかと二十歳になったばかりの学生を驚嘆させるのは、2S-305をもってすれば簡単なことだったのだろう。その後社会人となり「いつかは305」と唱えながら過ごし、そして出会いから20年を経過した90年代半ばにようやく手に入れた。過去一度、小型スピーカーへの移行を目指して手放したものの、その後紆余曲折を経て、今も日々素晴らしい音を奏でてくれている。

この本を眺めていると、往時のダイヤトーン全盛期の生々しい現場、活況を呈した市場、そしてオーディオ、カメラ、車…当時の若者があこがれ、日本市場そして世界を席巻したジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を今更ながらに思い出す。


2S-305の音の確認。いわゆる空気録音。貧弱なレコーダーと何の音響処理もしていない8畳道楽部屋ゆえ、その真価は伝わらないのは承知しているが、ついついこんな遊びをやってしまうのも道楽人の常だ。







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アリシア・デ・ラローチャのスペイン物



週明け月曜。きょうもいつも通り出勤。程々に仕事していつもの時刻に帰宅した。年末感ゼロの師走の晩。今夜も続けてこの盤を取り出した。


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先日来続けて聴いている「20世紀のグレイト・ピアニスト」シリーズ中の一枚。アリシア・デ・ラローチャ(1923-2009)の弾くスペイン物を2枚に収めた盤だ。この盤、ラローチャの演奏を聴く意味合いはもちろんだが、その前にスペインの古典から近代にかけての作品を網羅している選曲がまず秀逸だ。スペイン物というと、とかくイサーク・アルベニスやグラナドス、ファリャなど近代スペインの作曲家が取り上げられることが多い。しかし、この盤ではそれらのスペイン近代の定番に加え、18世紀後半から19世紀に活躍して古典期の作曲家、マテオ・アルベニス(1755-1831)やアントニオ・ソレル(1729-1783)の作品が聴ける。加えてハルフテルやモンポウの代表作も収録されていて、ピアノを通してスペイン音楽を俯瞰するには好適のアルバムに仕上がっている。

ラローチャにとっては、もちろんこうした収録曲は「お国物」となるわけだが、天才少女としてスタートしたキャリアの中で彼女はモーツァルトやシューマンなどのウィーン古典派の曲も得意としていた。それ故か彼女の弾くグラナドスのスペイン舞曲やI・アルベニスなどの作品は実に整然とした古典的様式感の上に成り立っていて格調が高い。背筋が伸びていると言ってもいいだろう。それでいてスペイン物らしい情緒にも不足はない。

グラナドスやI・アルベニスの作品はギター弾きにとっても馴染み深いものが多いが、ギターで弾くそれらの編曲物の演奏はとかく情緒的で、ときにコブシが効きすぎることがある。ぼくも含めギター弾き諸兄諸姉は、ラローチャの弾くスペイン物を聴き、手垢にまみれていない解釈を参考にすべし…といったところだろうか。


この盤の音源。マテオ・アルベニス(1755-1831)のソナタニ長調。


この曲はギターにもアレンジされていて、ギター弾きには馴染み深い。


同曲 「カスタネットの女王」ルセロ・テナ。


ソレル(1729-1783)のソナタニ長調。ドメニコ・スカルラッティに指示したソレル。曲想も似ている。



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ビゼー「演奏会用半音階的変奏曲」



気付けばクリスマスイヴ。これといった趣向もなく、いつもの週末土曜日だ。みなが浮かれていたバブル期も指をくわえて傍目にみていた身にとっては、楽しかったクリスマスの思い出もない。今も昔も平々凡々…嗚呼 まあ仕方ない。気を取り直して日常ルーチン。先回の続きで、こんな盤を取り出した。


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20年程前に「Great Pianist of The 20th Century」という名で出ていたシリーズ物のグールドの巻。グールドは例のボックスセットがあるのだが、同じ録音ながら別企画の盤で聴くのも悪くない。このシリーズは20世紀を代表するピアニストの代表的な録音をそれぞれCD2枚の収めてある。先日記事に書いたリパッティもこのシリーズ。今思えば随分と珍しいピアニストの盤もあった。もう少し手を広げて買っておけばよかったと少々後悔している。

グールドのぼう大な録音から2枚のダイジェストを作るにあたって、企画担当者は随分と悩んだことだろう。その結果選ばれたのは、バード、ギボンズ、スカルラッティが数曲、モーツァルトとハイドンが1曲ずつ。それと時代が飛んでR・シュトラウス、スクリャービン、ベルク、プロコフィエフなど。中ではカルメンやアルルの女で有名なビゼーの「演奏会用半音階的変奏曲」が珍しい。ビゼーといえばまずはカルメン、アルルの女、交響曲ハ長調あたりが思い浮かぶが、それ以外にといわれると馴染みはぐっと少なくなる。この「演奏会用半音階的変奏曲」は彼の数少ないピアノ作品のひとつ。ピアノ愛好家にはそれなりの知名のある曲かもしれないが、一般にはグールドが弾いているということでにわかに知られるところとなったようだ。実際、ぼくもグールドの演奏で初めて耳にした。ビゼーのメロディーメイカーとしての一面に加えて、後期ロマン派風の拡大した半音階技法を駆使した佳曲で、ピアニスティックな魅力にもあふれていて聴きごたえのあるコンサートピースだ。


この盤の音源。



全日本ピアノ指導者協会ならびに同協会協力者提供の音源。



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リパッティのバッハ



今週は前半に少々重い仕事があったが何とか切り抜け、年内の峠を越した(やれやれ…)。さて、週末ではないが気分は少々リラックス。音盤棚を眺めていて、この盤と目が合ったので久々に取り出した。


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ディヌ・リパッティ(1917-1950)の2枚組。20年程前に出ていた「Great Pianists of the 20th Century」というシリーズの中のもの。2枚組の1枚は協奏曲で、カラヤンとのシューマン、ガリエラとのグリーク、共にオーケストラはフィルハーモニア管。もう1枚はバッハのパルティータ第1番の他、モーツァルトのイ短調のソナタKV310、ショパンの3番のソナタ、ブラームスのワルツなどが収められている。ぼくは熱心なリパッティファンではないのでよくは知らないのだが、リパッティの録音は多くないはず。現在CDで簡単に手に入るのはおそらく数枚ではないか。

バッハのパルティータ第1番を聴く。端整なバッハ演奏。ぼくの中にあるリパッティのイメージではもっと前世紀的なロマンティシズムを引きずっていると思っていたのだが、あらためてこのパルティータを聴くと、その予見は見事に外れた。プレリュードは速からず遅からずの中庸のテンポ設定で、大きなルバートをかけることなく、トリッキーな仕掛けもなく、淡々と穏やかに進む。1950年録音で音の状態は決してよくはないが、彼の音楽作りの方向性はよく聴き取れる。アルマンドは粒立ちのいいスケールがよどみなく流れる。サラバンドももたれるところがなく、遅すぎないテンポであっさりと弾き切っている。もっぱらショパン弾きのイメージが強いリッパティだが、バッハからもそのリリシズムは十分伝わってくる。


この盤の音源。バッハのパルティータ第1番BWV825 1950年7月ジュネーヴでのセッション録音。


リパッティ最後の演奏会ライヴ@1950年9月ブザンソン
最初にバッハのパルティータ第1番。そのあとモーツァルトのソナタ第8番、シューマン、ショパンと続く。この演奏会から三ヶ月後、1950年12月に亡くなった。



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チャイコフスキー交響曲第2番ハ短調「小ロシア」



音楽とその地域性や風土、季節性を強く感じるものとそうではないものとがある。ぼくの場合例えば、チャイコフスキーやシベリウスを聴くのは圧倒的に冬の期間が多い。あるいはブラームスの弦の主題を聴くと秋の深まりを感じる。そして今年も冬がやってきて、ぼちぼちチャイコフスキーの季節かなあ…と思いつつ、今夜はこんな盤を取り出した。


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モーリス・アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団によるチャイコフスキー交響曲全集。70年代初頭の録音。6曲の交響曲の他、主要な管弦楽曲が5枚のCDに詰め込んである米ヴァンガードの廉価盤ボックスセット。かれこれ十数年前、今はもうない隣り町のタワーレコードで投げ売られていた。今夜はその中から第2交響曲ハ短調を取り出し、先ほどから少し大きめの音量で聴いている。

アブラヴァネル(1903-1993)とユタ交響楽団によるこの全集は中々個性的だ。まずマルチマイク方式と思われる録音が異様なほどリアル。オンマイクでとらえられた各パートの音が明瞭に分離する。このパートがこんな音形を奏でていたのかという発見が随所にある。わずかな音程の狂いやアインザッツの不揃いもはっきりと聴き取れてしまう。そういう意味では、ソファに深く腰かけて、ゆったりと遠めに展開するオーケストラサウンドを聴くという感じではない。むしとその対極だ。これがアメリカ的といえばいえなくもない。アブラヴァネルの解釈も基本はオーソドクスだが、フレーズはやや短めに切り上げて歯切れがいいし、各パートの出入りをはっきりと提示する。

第2番ハ短調「小ロシア」は後期の4、5、6番やそれらに次ぐ人気の第1番「冬の日の幻想」などに比べるといまひとつパッとしない。演奏時間は35分程と、楽曲としての規模もチャイコフスキーあるいは他の同時期の交響曲と比べるても小さい。ウクライナの旧称あるいは蔑称としての「小ロシア」の名が付いているように、第1楽章冒頭のホルンソロをはじめ、楽曲の主要主題にウクライナ民謡が使われている。少々盛り込みすぎで散漫な感を否めないが、アブラヴァネルの速めのテンポと粘らない解釈で案外気持ちよく聴ける。このアブラヴァネル盤は、この第2番ほか他の曲もチャイコフスキーの「最初の1枚」としては必ずしもお薦めしないが、すでに幾多の演奏でチャイコフスキーの交響曲のイメージが出来上がっている向きには、面白く聴ける演奏だと思う。


この盤の音源。アブラヴァネル&ユタ響の音源。



チャイコフスキーあれこれ



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ハイドン「リュートと弦楽のための室内楽集」



冬型ながら穏やかな日曜日。朝から野暮用外出。三時過ぎに帰宅した。早い日の入り前のひととき、久しぶりにこんな盤を取り出した。


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ドイツ生まれのリュート奏者ミヒャエル・シェーファー(1937-1978)による一枚。ハイドンの作品をベースにした「リュートと弦楽のための四重奏」他が収められている盤だ。80年代初頭にミドルプライスで出た際に買い求めた。収録曲のいずれも弦楽四重奏などの原曲を元にアレンジされたものではあるのだが、ハイドン自身の編曲ではない。またそもそも原曲がハイドン自身の作でないものもあるようだ。

ハイドンが活躍していた18世紀半ば、リュートは音楽史の表舞台からは姿を消していた時期だ。ハイドン自身がリュートに興味をもっていたとする資料もあるようだが、実際に残された作品があるわけではない。この盤収録の曲も当時のリュート愛好家が編み、古くから流布していた楽譜をベースのようだ。20世紀初頭には例のH.Dブルーガーやカール・シャイトによる版が出た経緯がある。いずれの曲も明るく屈託のない曲想で、穏やかな休日に聴くのに相応しい佳曲が並ぶ。

ミヒャエル・シェーファーは優れたドイツのリュート奏者だったが、残念なことに1978年41歳の若さで亡くなった。確か日本人の奥様がいたはずだ。このハイドンの四重奏の他、手元にはわずかながら彼の盤がある。いずれもリュートの持つ軽やかで典雅な、そしてときに内省的な響きをたたえた演奏だ。

以前所有していた10コースリュート

社会人になってしばらくたった80年代初頭、国内で初めて発売された廉価なステューデントタイプの10コースリュートを手にしたことがあったが、結局ろくろく弾かずに手放した。楽器、楽譜、弦など、当時は情報がまだまだ少なかったことも疎遠になった一因だったかもしれない。その後、歴史的研究成果や熱心なファンの存在、そして古楽全般の隆盛もあって、今では当時とは比べものにならないくらい環境が整ってきた感がある。とはいえ、もはやリュートをあらためて手に取ることはないだろう。


この盤の音源。ニ長調のカルテットHob.III:8


ギターによるカルテット編成での演奏。カール・シャイト版だそうだ。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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