ダイヤトーン開発物語「音づくりに生きる」
少し前、非公開のコメントいただいた。三菱ダイヤトーンのスピーカー2S-305に関連してこのブログがヒットしたとのこと。一度手放した2S-305をその後買い戻したという以前の記事に触れ、その方も同じような経緯をたどったとのこと。この手の話、同胞の輩にはあるあるネタのようだ。そんなこともあって手元にあるこの本を久しぶりに引っ張りだした。

ダイヤトーン開発生産拠点だった往時の三菱電機郡山製作所

昭和61年1986年にダイヤモンド社から出た「音づくりに生きる」。~ロボットと名人芸の結晶「ダイヤトーン」開発物語~と副題がついている。米山義男と後藤慶一というテクニカルライターが書いたいわゆる企業本だ。内容は表題から押して知るべしのもので、一時代を築いた三菱電機のスピーカーブランド「ダイヤトーン」の誕生から最盛期、そしてデジタル時代を迎えて新たな挑戦に挑む姿が描かれている。この本、企業本の常として相応の冊数が社内配布されたのか、発刊から40年近く経ちながら時々古本で見かける。今もアマゾンを覗いてみたら2冊がリストされていた。
ラジオ受信機用から始まりテレビそしてステレオ時代と、音響機器の需要は昭和の電気機器産業にとっては大きなカテゴリーだった。三菱ダイヤトーンスピーカーはそんな時代背景と、三菱グループという広範な技術資産と開発能力との上に花開いた。とはいえ、多くの昭和の技術開発ストーリーにもあるように、ダイヤトーンスピーカーも幾人かの技術者の寝食を忘れた努力、資材・生産・営業部門の多くの人々の人間力があって成立した。この本にもそうした人々の物語がいくつかの印象的なエピソードと共に描かれている。70年代の貧乏学生時代、ダイヤトーンのフルレンジP-610を自作の後面開放箱に入れ、貧弱な自作真空管アンプで鳴らして多くの音楽聴いてきた身には、この本で紹介されたエピソードにより当時の光景がリアルに蘇る。
当初業務用であった2S-305を一般市販した際、大量の受注残を抱え、販売停止の新聞告知がなされた。

2S-305のラウンドバッフル加工

中でも現在まで語り継がれるダイヤトーンのレガシーと言えば、NHKとの共同開発による放送局用モニター2S-305だろう。ぼくが2S-305に出会ったのは70年代半ば。大学一年の時に知り合ったある恩師宅だった。その音はまさに衝撃的だった。自分の貧弱なオーディオを比べるまでもなく、こんな音があったのかと二十歳になったばかりの学生を驚嘆させるのは、2S-305をもってすれば簡単なことだったのだろう。その後社会人となり「いつかは305」と唱えながら過ごし、そして出会いから20年を経過した90年代半ばにようやく手に入れた。過去一度、小型スピーカーへの移行を目指して手放したものの、その後紆余曲折を経て、今も日々素晴らしい音を奏でてくれている。
この本を眺めていると、往時のダイヤトーン全盛期の生々しい現場、活況を呈した市場、そしてオーディオ、カメラ、車…当時の若者があこがれ、日本市場そして世界を席巻したジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を今更ながらに思い出す。
2S-305の音の確認。いわゆる空気録音。貧弱なレコーダーと何の音響処理もしていない8畳道楽部屋ゆえ、その真価は伝わらないのは承知しているが、ついついこんな遊びをやってしまうのも道楽人の常だ。
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