一時はどうなるかと思っていた年度末業務も何度目かの神風が吹き解決。予想外に時間が出来たのをこれ幸いと都内散策を続けていたが、きょうはその最後。花の東京はやはり銀座だろうと、過日勇んで繰り出した。
かつて、ぼくにとっての銀座はオシャレな大人の街とはかけ離れていた。70~80年代の銀座界隈には「ハンター」を始め、中古レコードの店が何軒かあり、学生時代から時折りバイト日銭を手にそれらの店を巡るのが楽しみだった。加えて山野楽器やヤマハ銀座店で楽譜や楽器にも触れられる…つまりは音楽道楽の渇きを癒すためのエリアだった。CD時代になって中古レコード店は姿を消したが山野・ヤマハは健在。オシャレな華やかさと同時に下町風情も感じさせる銀座は相変わらず魅力的だ。今回はそんな銀座の裏通りを巡ってみようと、例によってにわか建築探偵団となって繰り出した。
目指すは裏通り…ではあるが、まずは起点の四丁目交差点、銀座の象徴「和光」(1932)からスタート。ここでフィアンセと買い物をするような人生を歩みたかったなあ…

晴海通りから外堀通りへ左折して少し行くと現れるのが「電通銀座ビル」(1934)。広告代理店大手「電通」の前身「日本電報通信社本社」だったビル。1階部分に御影石を配し、コーナーのアールが印象を柔らかくしている。

電通銀座ビルから延びるのが「交詢社通り」。その名の通り、かつて福沢諭吉を中心に創立された社交クラブ「交詢社」のビルがあったエリア。長らく当時の姿を残した交詢社ビルだったが、2004年にファサードの一部を残して建替えられた。

再び中央通りへ。七丁目交差点。幾度となく通ったヤマハ銀座店。かつてのビルはアントニン・レーモンド設計の名建築だったが、老朽化により2010年に建替えられた。

四丁目交差点に戻って…。あんぱんの木村屋、ギターやマンドリンの在庫も豊富な山野楽器を過ぎ、銀座で唯一ともいえる書店「教文館・聖書館ビル」(1933)のスッキリとして姿が目にとまる。これもアントニン・レーモンド設計。

松屋百貨店の裏通りへ。小さいながら目をひくアールデコ風のビル「松屋東別館(旧日本酸素本社)」(1927)。

さらに裏通りを更に進むと、美しさに目を奪われる「ヨネイビル」(1929)に着く。

1階には人気の洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」が入っている。せっかくなので、ちょっと贅沢に一服。目の前で供されるオレンジソースのガレット・アイスクリーム添え



優雅なスウィーツを堪能したあと、裏通りをさらに進むと…レトロ感あふれる「奥野ビル」(1932)が現れる。設計は同潤会アパートと同じく川元設計事務所。



先回の日本橋・兜町と同様、戦前のビルが未だ残り、修復・改修されながらも生き続けている様は貴重だ。建設当時はモボ・モガ達が着飾って歩いていたに違いない。そんな昔日の良き時代を感じさせる小散歩だった。
アンリ・シャルパンティエ@ヨネイビル
戦前の銀座他
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桜が満開になったあと、ここ数日はっきりしない天気が続いていたが、きょうや久々に晴れ間がのぞき、気温も上がった。お上りさん散歩ネタは本日休業。今夜はこんな盤を取り出して音盤タイムとなった。

取出したのはロメロ一家、オヤジさんのセレドニオ(1913-1996)と今や大御所の次男ペペ(1944-)による二重奏。1976年10月録音。収録曲は以下の通り。19世紀中庸のギター古典期のオーソドクスな曲が三曲収められている。
1. セレナード イ長調 作品96-1(カルリ)
2. 協奏的変奏曲 作品130(ジュリアーニ)
3. セレナード ヘ長調 作品63(ディアベリ)
この盤が出た70年代半ばといえば、すでにロメロ・ファミリーはペペやアンヘルのソロ活動も始まり、十分な人気を博していた頃だ。その時期に、こうした19世紀半ばヨーロッパでギターが広く定着しつつあった時代の、見方によってはやや地味とも思われる純古典曲を選んだこの親子にまず拍手を送りたい。ロメロ・ファミリーはスペイン物ばかりじゃない、ヨーロッパの古典もしっかり演奏できまっせという気概さえ感じる。
演奏もそうしたポリシーを反映するかのように実にオーソドクス。古典派二重奏のお手本のような演奏で好感が持てる。カルリのイ長調のセレナーデは、冒頭の序奏や第1楽章などは、アマチュアの手慰み程度だと、度々出てくる付点音符の処理に手を焼くのだが、さすがに完璧に合っていて格調高く、古典的な雰囲気十分だ。ジュリアーニの協奏変奏曲は70年代半ばの当時人気の高かったジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスの演奏などと比べると、闊達さや自在には欠けるだろうが、ぼくはこのロメロ親子の生真面目なくらいきっちりした演奏を好む。ディアベリのセレナーデでもロメロ親子のアプローチは変らない。ディアベリ(1781-1858)という、当時のウィーンにあってギター専門家ではない一般職業作曲家として名声を博した人が書いた、ウィーン古典派の本流をいく<家庭音楽>の曲想はクラシックギター音楽の貴重な財産。もっと評価され、演奏されていいように思う。
この時代の曲は今であれば19世紀当時の楽器を使い、よりオーセンティックなスタイルで演奏するところだが、当時は今ほどのオリジナル志向はまだなかった。ここはモダンギター(使用楽器はジャケット写真でみると、父セレドニオがラミレス、次男ペペがバルベロ?ロドリゲス?)による70年当時のオーソドクスな解釈と演奏スタイルとして楽しむことにしよう。
この盤の音源。ジュリアーニの協奏的変奏曲作品130
ディアベリのセレナーデ作品63 ペペが1stのテルツパート(3カポで対応)を弾き、ブライアン・ヘイズというギタリストが2ndを弾いている。
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お上りさんの東京散歩の続き。先回のアカデミックなエリアから今回はリラックスして商業エリアへ。目指すは日本橋高島屋。先週まで開かれていた「北欧デザイン展」へ。ついでに周辺をうろうろしてみた。

北欧家具・調度品の分野で有名な織田憲嗣氏のコレクションが身近かに見られるということで、大いに話題になった様子。

椅子の名品が並ぶ

美しいガラス製品

北欧のリビングを再現

カトラリーと茶器

大いに目の保養をしたところであらためて日本橋散策へ。例によってプチ建築探偵団風情でGo! あらためて見る「日本橋髙島屋」(1933)の存在感に感じ入る。その対面には丸善(1906~2006改築)。言わずと知れたは百年以上の歴史をもつ老舗。洋書、筆記具、服・洋品等、かつてのインテリ紳士はここですべての買い物を済ませた。二十代の頃、インテリでも紳士でもなかったが、ここの便箋やノートにあこがれ何度か足を運んだことを思い出す。


丸善の向かいにあるのが「スターツ日本橋ビル」(1927)。旧川崎財閥系の川崎銀行本館だった由。

日本橋から少し東に進み、さらに永代通りを渡って兜町へと進む。ぼくの生活にはまったく縁のないエリアだが、日本経済の中心でもある。一度を見ておくのもいいだろう。
小さながら目をひく「フィリップ証券」(1935)。

隣接してちょっとチャーミングな「山二証券」(1920)

東京証券取引所を横目で見ながら進むと現れるのが「日証館」(1928)。かつての渋沢栄一邸宅跡地。今見ても大きなビルだが、アーチ状窓を配した意匠は風格に満ちている。内部も現役感バリバリ。


兜町を離れて日本橋へ向かう。首都高をくぐって進むと現れるのが「日本橋三菱ダイヤビルディング(旧三菱倉庫本社)」(1930)。2階まで石張り、5階まで当時イメージを残し、10年程前に高層ビルになった。

お馴染み日本橋。橋の上を覆う首都高速道路は「日本橋区間地下化事業」が進行中。2040年には首都高が下にある日本橋川の地下に潜るという大計画。

日本橋すぐ横の「野村證券」(1930)は周辺再開発と併せて改築中。

日本橋から中央通りを北進。「日本橋三越」(1927)、「三井住友銀行東京支店(旧三井本館)」(1929)と連なる。丸の内が三菱村なら、この辺りは三井村だろうか。

この建物の中にはどれほどの資産が潜んでいるのだろうか

かつての日本の反映を象徴するエリアを散策。日本橋は江戸時代以来の商いの街。それを支える兜町。ちょっと見ではわからない社会資本の蓄積を感じさせる小散歩だった。最後は「三時のおやつは文明堂~♪」で一服。好天に恵まれ、楽しいひとときだった。
大通りから一本入ると、ぐっと庶民的な風情に。

カンカンベアがお出迎え。

美味しくいただきました。

日本橋高島屋「北欧デザイン展」 スマートフォンでの写真・動画撮影可。「どしどしSNSにアップしてください」とのコメントまであったので、当日撮ったものを並べて簡単な動画にしてみた。
日本橋高島屋での「北欧デザイン展」に多くのコレクションを提供した織田憲嗣氏のチャンネルから。
三時のおやつは文明堂~♪
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気付けば三月も下旬。年度末の業務も片付け、余裕の休暇取得。お上りさん東京散歩の続き。今回はいよいよ本丸?!東京大学本郷地区キャンパスへ。その歴史ある建築群を一度見ておきたいとかねがね思っていたが、これまで畏敬の念もあって機会がなかった。見学だけなら試験は不要とのことで(^^、偏差値気にせず安心してのりこむことにした。
最寄り駅の地下鉄丸ノ内線・本郷三丁目を出て本郷通りを北進する。

赤門

正門

正門から銀杏並木を進む。春休みのためか学生の姿はまばら

法文2号館。雰囲気のあるアーチ回廊


東大の象徴「安田講堂」前に出る

安田講堂地下の学食でメシ

三四郎池

医学部2号館本館

総合図書館


構内は設計者:内田祥三(1885-1972)の手になる通称「内田ゴシック」のオンパレード。スクラッチタイルとシンメトリーかつ末広がりの重厚な建物が続く。いずれも100年近くの歴史を背負う。 ゆるゆると巡ること小一時間。構内一巡したところで一服。正門前の喫茶店「ルオー」に入る。雑誌の特集ではよく取り上げられる店だ。

いつもなら東大生に賑わっているのだろうが、キャンパス構内同様、ここも春休みゆえか客はまばら。おかげで丁寧に供された珈琲と菓子(リンゴのタルトをチョイス)で穏やかな時間を楽しんだ。さて、もう少し歩こうかと、農学部のある弥生キャンパスへ進む。
農学部への門(農正門)

農学部2号館

農学部3号館

頑張れ東大野球部!

初めて足を踏み入れた東大キャンパス。うわべだけのミーハー散歩であったが、歴史を刻んだ建造物と構内の樹々が織りなす造形に脱帽。そしてそれらに相応しい選ばれし真摯な学徒が日夜、勉学・研究に打ち込む姿を想像し、思わず「日本を頼むぞ」と心の中でつぶやいた。見知らぬ彼らに勝手な期待を願いつつ本郷三丁目へ戻り、駅チカの名曲喫茶「麦」にて大休止。東大オケの第二部室と異名をとるらしい。喫煙OK・激安メニュー。昭和にタイムスリップしたかのようなひとときを過ごして散歩を終え、帰途についた。
珈琲とジャムサンドで550円也

東大生によるミニツアー
総合図書館
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お上りさん東京散歩、きょうはお休み。久々に本業回帰で音盤タイム。先日、阿佐ヶ谷ヴィオロンでかかっていた、この曲を取り出した。

カレル・アンチェル(1908-1973)指揮チェコフィルハーモニーによるスメタナの連作交響詩「わが祖国」の全曲盤。しばらく前にアンチェルの録音が廉価盤でまとまってリリースされた際の一枚。1963年録音。
多くの曲でキレのいい、スッキリと引き締まった造形を聴かせてくれたアンチェルとチェコフィルだが、この盤ではやや趣きが異なり、少しロマンティックに寄った解釈をみせる。やはり曲が曲だけに、彼ら自身の血に直接訴えるのだろうか、あるいは聴く側のぼくの方に心理的バイアスが加わるのか、多分その両方だろう。有名な第2曲ヴラタヴァ「モルダウ」など聴いていると、テンポはゆっくり目だし、前半もやや抑え気味の表情付けで実にしみじみと歌いぬく。また第3曲のシャールカでは終盤の劇的な展開に目を見張る。第5曲「ターボル」冒頭の序奏では、強烈なティンパ二の強打と、終始浸透力のあるファンファーレを聴かせる金管群が印象的だ。チェコの殉教者;ヤン・フスの不屈の魂を表現しているのだろう。
こうして連作交響詩<わが祖国>全曲をあらためて聴いてみると、その名の通り、様々なモチーフを連ねた実に立派な交響作品で、大規模な広義のソナタとしての交響曲とは当然異なる趣きだが、モルダウの美しい旋律だけに耳を奪われず、ぜひ他の曲も通して楽しみたいと、今更ながらに感じた次第だ。
この盤の音源。第4曲「ボヘミアの森と草原から」
貴重な映像。1968年プラハの春音楽祭。音楽祭の開催がスメタナの命日に合せた五月初め。この年の夏以降ソ連侵攻によりチェコ動乱が始まることになり、そしてアンチェルは翌年亡命し祖国を離れる。何度かこのステージを踏んだアンチェル&チェコフィルの最後の演奏だったに違いない。残念ながら音はモノラルで冴えない。
モルダウの後半。晩年を送ったカナダでの演奏がこちらに。1969年、小澤征爾のあとを受けるかたちでトロント交響楽団のシェフになったが、4年後の1973年には世を去った。
!マークが出るが、YouTubeで見るとクリックすればOK。
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お上りさんの散歩ネタが続く。先日は喫茶店、それも名曲喫茶を称される店のハシゴ。阿佐ヶ谷、渋谷、新宿と徘徊した。
まずJR中央線阿佐ヶ谷駅へ。目指すは名曲喫茶ヴィオロン

渋い佇まいのスターロードを進む。この道、その名の通り輝くのは陽が落ちてからだろう。

住宅地を進み、到着

撮影ダメよとも書いてなかったので、失礼して静音モードでパチリ。古色蒼然たる店内。

昭和仕様のコーヒー。

店先のディスプレイには古典球とSP針のケース。

1979年開業というから、この手の名曲喫茶としては比較的新しい店だ。随分前から雑誌の記事で度々見かけ、店先の壁に飾られたチェロの表板が印象的で一度訪ねたいと思っていた。店主がウィーンのムジークフェラインを模して作ったという店内は、40年の時を経て程よいヴィンテージ感。洞窟の奥から響いてくるような独特な音は現代的なハイファイ指向とは別物で、一般家庭で再現するのは難しいだろう。スメタナの「わが祖国」の終盤を聴き、曲がモーツァルトのd-mollの交響曲に変わったところで店をあとにした。
続いて渋谷へ。目指すのは名曲喫茶ライオン。20年ぶりの再訪だ。
109を右手に見ながら道玄坂を登る。

百軒店に入る。以前の印象では、昼間の人影はまばらで、肩を寄せ合う男女がスッと消えるような施設が並ぶエリアだったが、昨今は変化があるのだろうか。飲食店やちょっとしたバーが増えたような気もする。

そんなことを考えつつしばし歩くと、突然ライオンの看板が現れる。

店内は撮影禁止。もちろん私語も禁止。ひたすら壁面にしつらえられた自慢の大型スピーカーに対峙して音楽を聴く。外国人観光客も何組かいた。ガイドブックに載っているのだろう。戦前生まれで都内の名曲喫茶の中では老舗中の老舗。帝都随一、立体音響、立体名曲…。以前初めて訪れたときも感じたが、巨大といっていいオリジナルのスピーカーシステムは、これで聴くワグナーや如何にと、想像をたくましくさせるに十分だが、期待は程々にしておいた方がよいだろう。もちろんこちらも、家庭で再現できる種類の音ではなく、相応の価値があるだろうが…

興にのって、当初予定していなかった三軒目。渋谷から新宿へ。目指すは「らんぶる」

地下鉄新宿三丁目で下車。マルイ裏手の新宿中央通りを進むと到着。


名曲喫茶と名のるものの前記2店と異なり、広く快適な空間、清潔に整えられた調度など、「名曲」を除いた一般の喫茶店として立派な店だ。もちろん程よい昭和レトロ感も漂う。Z世代が一人スマホを眺めて座る今時のカフェと違い、訪れた日も若いカップル、女性グループ、外回り勤め人等々、見慣れた光景に安堵した。


名曲喫茶がもてはやされたのは昭和30~50年代、正に昭和時代。レコードが貴重品で、オーディオ装置も一般家庭で揃えることが難しかった時代の産物。特にクラシック音楽専門の名曲喫茶は今や絶滅危惧種の扱いだ。ヴィオロンとライオンは昔のままの路線で健在。荻窪ミニヨンも新装された直後に行ったことがあるが、今も繁盛しているようす。新宿コマ劇場近くにあって、閉店直前に入ったことがあるスカラ座は現在、軽井沢で看板をあげている由。近年は何回目のカフェ・珈琲ブームのようだ。オーディオ自慢の新しい店も出てきている様子。かつての老舗で味わうレトロ感も貴重だが、機会があれば新しい店も覗いてみたいものだ。
渋谷「ライオン」
阿佐ヶ谷「ヴィオロン」
新宿「らんぶる」
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都内での仕事の間隙をぬって、お上りさんの東京散歩。先日、かねてより一度目にしたいと思っていた文京区の東京カテドラル聖マリア大聖堂(関口教会)をようやく訪れることができた。事前に地図を眺めつつコースを検討。今回は地下鉄茗荷谷駅からスタートし、小日向から音羽へ出て関口へという順路に決めた。

丸ノ内線・茗荷谷駅で下車

駅チカの定食屋で腹ごしらえ。魚がウリの店らしいが、ネットに「トンカツがヤバい!」とあったので、それにのる。美味でした。

貞静学園の瀟洒な校舎。近くには跡見学園女子大学、お茶の水女子大、筑波大附属高校(旧東京教育大跡地)等、まさに文京地区

程なく現れる拓殖大学本館。1932年・昭和7年完成。埋込みの時計、シンメトリーな建屋等。校舎建築の王道。

文京区のこの辺り、小石川~茗荷谷~小日向~音羽は台地と谷が交錯し坂道も多い。漱石や鷗外の小説にも出てくるという鼠坂を下る

音羽通りに出る。遠方に見える高層ビルは講談社新社屋。その手前に名建築で名高い講談社旧本館が隠れている。

音羽通り沿いの鳩山会館。鳩山一族のかつての住まい。通称「音羽御殿」





音羽通りを渡って関口へ向かう。鳥尾坂を登ると獨協中高グランド越しに…見えてきました

東京カテドラル聖マリア大聖堂(関口教会) 丹下健三設計 1964年竣工




目白通りの陸橋から望む。背後には椿山荘

東京カテドラル聖マリア大聖堂。その名を初めて聞いたのはもう40年以上前のこと。1980年に朝比奈隆と大阪フィルによるブルックナーの演奏が行われ、レコードも発売されたときのことだ。レコードは手に入れなかったが、「東京カテドラル聖マリア大聖堂」という名前の語感に強い印象を受けた。その後、この聖堂で行われたカール・リヒターのオルガンリサイタルのCDを手に入れ、大聖堂に響く荘麗なオルガンの響きに圧倒されたものだ。 今回ようやく目にすることが出来た大聖堂。折からの陽射しに輝くその様相に、息をのむ美しさというのは、こういうことを言うのだろうと実感した。
空撮による東京カテドラル聖マリア大聖堂
1967年のこの辺りの様子
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