季節もよくなり、このところ楽器を手にする時間が増えた。指の不調は相変わらずだが、気にすることなく、時間の許す限り興に任せて弾いている。ギター余生も先が見えてきたこともあって、少しは身を入れて取り組もうと決心。当面の課題曲を選んで、いつになく譜読みから始めている。選んだ曲はこの曲だ。


スペインの作曲家フェデリコ・モレノ=トローバ(1891-1982)作曲の「ソナティナ」。ギター弾きにはお馴染みの曲だ。トローバは一般の音楽愛好家には必ずしもポピュラーな存在ではない。スペインの伝統的なサルスエラの作曲家としてわずかに知られる程度かもしれない。一方でぼくらギター弾きにはお馴染みの名前で、スペイン近代の響きを伝える貴重なギターオリジナル作品を残した。時折モダンな和声も織り込まれるが、多くはスペイン情緒あふれる伝統的なもので、ギターでの演奏効果にもよく合う曲が多い。
このソナティナは3楽章からなる、その名の通り小ソナタではあるが、ギター曲の中にあっては決して小さいものではなく、むしろ堂々とした曲の一つだ。ギターの音がもっとも魅力的に響く音域で明確なメロディーが奏され、スパニッシュなリズムと相まって、演奏効果も上がる佳曲だ。十数年前に新井伴典氏監修のトローバ作品集が全音楽譜から出て、この曲の他、組曲「スペインの城」なども手軽に楽しめるようになった。この新井伴典版は従来からある版に加え、管弦楽伴奏版も参考にして校訂したとのこと。また、運指も細かに示されている。いつもは楽譜に記された運指を仔細に見ることは少ないのだが、今回は忠実にトレースしてみようと思っている。軽快かつ洒脱に弾ける日が来ることをイメージして練習に精を出そう。
この曲はアンドレス・セゴビア(1893-1987)の依頼を受けて作曲された。以下は壮年期のセゴビアによる第1楽章の演奏。技巧のキレよく、速めのテンポで軽快に弾いていて素晴らしい。
オケ伴奏版。第1楽章。
益田正洋による演奏。全3楽章。手持ちの盤からアップした。
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先日来のブラームス祭りの続き。きょうはこの盤を取り出した。

英国の指揮者エイドリアン・ボールト(1889-1983)とロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(第3番のみロンドン交響楽団)によるブラームス交響曲全集から第1番ハ短調を聴いている。1889年生まれのエイドリアン・ボールトがこの盤を録音したのは80歳を超えた70年代初頭。ホルストの「惑星」を初演したことで知られるボールトだが、同国のビーチャムやバルビローリなどに比べると少々地味な存在だったのか、壮年期の録音は少ない。このブラームスをはじめ、多くの盤が晩年の録音だ。他の英国系指揮者同様、エルガー、ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズといった自国作品を得意としたのはもちろんだが、ボールトは修行時代にライプツィッヒに渡り、ニキシュに私淑したということからも伺える通り、ブラームスやベートーヴェンなどのドイツ物にもよい演奏を残した。このブラームス全集もその一つだろう。 この盤を手に入れたのは二十年程前。メージャーレーベルから版権を譲り受けて廉価ボックスセットを出すことで有名な蘭DISKY社からリリースされたもの。昔から評価の高い演奏であることは知っていたが、実のところあまり期待もせずに手に入れた。しかしこれが存外によかった。
80歳を超えた晩年の録音であることから、おそらく徹底的にオケを絞り上げて練習を重ねた録音ということなく、半ばスタジオライヴ的に録ったのではないかと思う。それゆえかオケのアンサンブルは鉄壁というわけにはいかず、弦楽群のアインザッツにはいくらか乱れもあるし、前進する推力も圧倒的というものではない。しかし、対向配置を取るオケ全体の響きは十分厚く重量感に不足はない。テンポは意外にもほとんどインテンポで進む。また音色も派手さのないもので、共にブラームスに相応しい。特筆すべきはこの曲で重要な任を負うホルンセクションの素晴らしさだ。第1楽章では単純な音形のひと吹きにも深さを感じるし、展開部で聴かれるベートーヴェンの「運命」のモチーフに似たタタタ・ターンのフレーズもよく突き抜けてくる。第2楽章終盤、例のヴァイオリンソロとの掛け合いでも美しい音を聴かせてくれる。もちろん第4楽章でのホルンの活躍を言うに及ばない。思えば英国にはホルンの名手が多い。デニス・ブレイン、アラン・シヴィル、バリー・タックウェル等。その伝統がこのときのロンドン・フィルにも息づいているのだろう。
世には様々なブラームス演奏があるが、このボールト&ロンドン・フィル盤は一見すべてが中庸のようでありながら、スケール感、要所要所での力感、ブラームスらしい憧れを引きずるような歌、それらを過不足なくなくコントロールして具現化する手腕など、文句の言いようのない出来栄えだ。
この盤の音源。第1番ハ短調。第1楽章の提示部を繰り返している。
この盤の音源。第1番から4番まで全4曲が続く。概要欄にある楽章ごとのタイムスタンプを参照されたい。
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このところ続けて聴いているブラームス。クラシックを聴き始めて間もなくブラームスの交響曲に惹かれて以来半世紀、一体何度聴いたことか。そしてきょうもまた飽きもせず、この盤を取り出した。

オイゲン・ヨッフム(1902-1987)がロンドンフィルと入れたブラームス全集LP盤から第2番ニ長調を聴いている。1976年録音。以前も書いたが、手元には結構な数のブラームス交響曲全集盤がある。カラヤン/BPO(60年代・70年代)、ベーム/VPO、バーンスタイン/VPO、フルトヴェングラー/BPO他、ワルター/コロンビア響、ヨッフム/LPO、クレンペラー/PO、ケンペ/MPO(以上はLP盤)、ボールト/LSO、バルビローリ/VPO、セル/クリーブランド、アンチェル/チェコPO、ヴァント/NDR、チェリビダッケ/SWR、ザンデルリング/SKD、シャイー/RCO、インバル/フランクフルト放響、スウィトナー/SKB。この他に<単品>がゴロゴロという状況。中ではこのヨッフム盤はあまり頻繁に聴いた記憶がない。演奏が気に入らないという理由ではなく、そもそも音楽そのものをむさぼるように聴いた時期を過ぎてから手に入れた盤だという理由による。そんなこともあって、今夜は久しぶりにこの盤に針を下ろすことにした。
ヨッフムは晩年になっても老成することなくあまりテンポも落ちず、明快な音楽作りをしたと認識している。この盤もそれを証明するように、録音当時70代半ばながら巨匠然とすることなく、音楽は極めてスムースに進行する。テンポは中庸でフレーズの歌いまわしも極めてナチュラル。それでいて決め所の重量感に不足はない。第2楽章など、もっと寂寥感をただよわせて歌い込んでもいいかなと思うのだが、その一歩手前で抑えているあたりが老練の技かもしれない。終楽章は年齢が信じられないほど精気にあふれ、最後のコーダに入ってからのアチェルランドには思わず手に汗握る。ロンドンフィルは細かいところのアンサンブルで時々難がないではないが、雰囲気は実にブラームスらしく落ち着いた音色と深いアインザッツでヨッフムの棒に応えている。録音場所はキングスウェイホール。もう少し響きのブレンドと空間の広がり感がほしい気もするが、低弦群の重量感はたっぷりでブラームスのシンフォニーに相応しい仕上がり。他のEMI録音でも感じるように、キングスウェイホールでの録音はホールトーンをやや控えめ、反面各パートの分離は良好で広めのスタジオでのライヴを聴く趣きだ。
ブラームスはこの第2交響曲を避暑先のペルチャッハで作った。明るいニ長調の調性と相まって、初夏を感じさせるこの時期にしみじみ聴くのに相応しい名曲だ。
この盤の音源。第4楽章
ブラームス自身が編曲したピアノ連弾版による演奏。全4楽章
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先回に続き王道名曲。取り出したのはこの盤だ。

セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)とシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)によるブラームス第2番。独グラモフォン盤全集中の一枚で、第2番は1975年の録音。
当時チェリビダッケはSWRのシェフを務めていた。またそのライヴ録音がNHKFMで流れるようになって、日本でも幻の指揮者として話題になり始めていた時期でもある。ぼくも学生時代の当時、FMから流れる彼の指揮するブラームスやシューベルトにかつてない興奮を覚えた記憶がある。この盤の録音は当時の放送録音用のもので、学生時代に聴いた演奏と同一かあるいは極めて近いものだろう。
月並みな表現だが演奏は素晴らしいのひと言だ。弦楽群が奏でるフレーズは精緻を極め、まるで一本の絹糸が紡ぎ出されるかのようだ。音程、音色、ボウイングの細部までチェリビダッケの指示が行き届いているに違いない。木管群のフレーズも明瞭に浮かび上がり、ブラームスの分厚く響くスコアが透けて見えてくる。その意味では室内楽的なアンサンブルといっていい。一方でマスの響きにも不足はなく、それも混濁することなく響く。チェリビダッケが来日して初めて日本のオケ(確か読響)を振った際、通常の倍の練習量を要求したり、その結果の演奏があまりに弱音で神経質だったことが、一部でネガティブに報じられた。おそらく当時の日本のオケには大規模管弦楽を室内楽的に入念に組立てるという概念が乏しかったことと、響きの少ないホール音響によるものだろう。後年サントリーホールでのミュンヘンフィルとの来日公演でその評価は一変することになる。
第1楽章ではSWRの弦楽群が素晴らしく美しい。同時にこの曲らしい明るく前へ進む推進力にも不足はない。フレージングも常に明確だ。またヘミオラ音形では通常耳にする演奏よりもはっきりとそれを明示するようにフレーズを切っていて新鮮に響く。第2楽章でもよく訓練された弦楽群が息の長いフレーズを美しく歌う。この曲が書かれたときブラームスが滞在していた夏の南墺ペルチャッハの湖畔に響き渡るように、ホルンも深々としたアインザッツで聴かせてくれる。第3楽章は軽く聴き流しがちの楽章だが、何度か現れるテンポの速い中間部がスケール大きく奏され、演奏次第でこうも変わるものかと実感する。終楽章も高揚感と全体の精緻なコントロールが一体となって抜群の推進力だ。
チェリビダッケの演奏は巨大なスケールの晩年の演奏も唯一無二だが、70年代のこの盤の頃を最善とする向きも多い。このブラームスも中庸のテンポ設定と完全にコントロールされた管弦楽バランス、それでいて息苦しさを感じさせない開放的な高揚感を併せもつ。ライヴゆえのキズもゼロではないが、それを補って余りある名演だ。
この盤の第2楽章。冒頭から約1分以上に渡りチェロが長いフレーズを歌う。4分20秒過ぎから次第に熱を帯び、5分19秒にはUm!とオケに気合いが入れるチェリビダッケの声が…。終盤8分40秒からはテンポをグッと落として最後の坂を登る。
この盤の音源。全楽章。
徳岡氏によるチェリビダッケ・トーク
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年齢が進むと何事も加齢のせいにしてしまう。以前はマイナーな秘曲・珍曲の類いにも興味をもったものだが、最近はそうした気力も失せ、名曲全集に出て来そうな曲ばかり聴いている。これも加齢のなせるわざか…。さて、黄金週間後半の週末土曜日。きょうも幾度となく聴き返してきた曲を選び、この盤を取り出した。

ギュンター・ヴァント指揮NDR響(北ドイツ放送交響楽団、現NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)によるブラームス交響曲集。1995年から97年にかけ、NDR響の本拠地ハンブルグ:ムジークハレで録られている。今夜はそのうち第1番をプレイヤーにセットし、第2楽章から聴いている。
演奏あれこれの前にこのヴァント盤、録音がいい。「録音がいい」ではあまりに漠然としているが、ここで言う録音の良さとはオーケストラの響きの捉え方のことだ。ヨーロッパのコンサートホールに響く管弦楽は正にこういう響きだろうと想像できる録音。すべての音が程よい距離感をもって柔らかく溶け合い、それでいて各パートの音は明瞭だ。チェロ・バスの深い響きの上にヴァイオリン群が広がりをもって展開する。その奥から木管がブレンドされて聴こえてくる。広々としたホールの空間に柔らかなホルンが響く。
ヴァント(1912-2002)は晩年になってもテンポが遅くならなかった数少ない指揮者といわれる。この録音当時80代半ばだったが、テンポは決してもたれず、ビートがしっかり刻まれている。特に第2楽章のような緩徐楽章でもはっきりとテンポ感を保っている。第1楽章冒頭の序奏などは思いのほか速いテンポ設定でグイグイと進み、主部に入るとギアチェンジして腰の据わったテンポ設定となる。
一方、響きのコントロールという点では各パートが明確に分離している。一聴すると響きが薄いようにさえ感じるほどだ。その結果、音楽はこの上なく精緻で身の引き締まるような緊張感に満ち、その緊張感がオケ全体の響きとホールトーンの中で心地よく解放される。こういう演奏と録音を聴いていると、決してボリュームを上げなくても、再生音楽としてのオーケストラ演奏を充分楽しめることが分かる。
この盤の音源。全4楽章。
この盤の一年あと1997年のNDR響とのライヴ。ヴァント85歳のとき。
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黄金週間真っ最中の昼下がり。昨今の電力料金を気にしながら消費電力大のA級アンプA-70の灯を入れ、この盤を取り出した。

コリン・デイヴィス(1927-2013)とシュターツカペレ・ドレスデン(SKD)によるシューベルト交響曲全集。1994年から1996年にかけてのセッション録音。録音会場は例によってドレスデン・ルカ教会。数年前にCBSソニーの輸入限定盤として発売されたもの。4枚組で2000円程。昨今、メジャーレーベルのボックスセットは大体こんな価格設定だ。
この盤を手に入れたのと同時期にブロムシュテット&SKD、スウィトナー&SKB(シュターツカペレ・ベルリン)のシューベルトを続けて手に入れ、前後してこの盤のリリースを知った。シューベルトの演奏もベームやカラヤンのかつての重厚長大路線から多様化し、ピリオドスタイルの演奏もすっかりお馴染みなったが、さて、その間の世代とでもいうべき、ブロムシュテットやスウィトナーそしてこのコリン・デイヴィスらによる中庸をいく演奏はどんなもんのかいな、しかもオケはSKDやSKBといった伝統色の強い団体であれば…と、まあ、そんな興味から一連の録音を確認し出したという次第。
きょうは第9番ハ長調「ザ・グレート」を取り出して聴いているのだが、演奏の性格をひと言で言い表すとすれば、<室内楽的な演奏>とでも言ったらいいだろうか。第1楽章からSKDの各パートが互いに聴き合うかのように美しい響きを奏でる。決して大声を出さずに楚々として、と言ってもいいほどだ。後半の第3楽章スケルツォ、第4楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに至って音楽は次第に熱気を帯び始めるが、音響バランスは常に安定し、ヘッドフォンでそこそこの音量で聴いていても、耳元でのうるささを感じない。 90年代後半のセッション録音ということもあって音質も上々。SKDのしなやかな弦楽群、やや遠めに定位する木管群、この曲で重要なトロンボーンの重厚かつ柔らかな響きも万全。低音は一聴すると量は控え目だが、帯域はコントラバスの低い基音までしっかりとらえられて、時折りピアニシモで奏でられるピチカートが深く悠然と聴こえてくる。
この曲に関しては、フルトヴェングラーやチェリビダッケの細部まで徹底的にこだわりぬいた演奏やベームの武骨なまでに悠然とした演奏、ロイ・グッドマン&ハノーヴァーバンドの新感覚の演奏などが手元にあって、いずれも貴重な名演であるが、このコリン・デイヴィス&SKD盤は同団の伝統的な美しい音とデイヴィスの中庸を心得た解釈を最良の録音で聴けるという意味において、やはり唯一無二の存在だ。
この盤の音源。交響曲第9番 第1楽章
このボックスセットの全8曲(第1~6、8、9番)
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あまりによく知られ演奏頻度も高く、これまで幾度となく聴いてきた曲。始まる前から、ああなって、こうなってと展開を承知している曲。失礼な言い方だが、いささか聴き飽きた曲。…そんな曲でも時折り無性に聴きたくなるときがある。きょうはまさにそんなとき。取り出したのはこの盤だ。

ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界から」。イシュトヴァン・ケルテス(1929-1973)指揮ウィーンフィルの演奏。1961年ケルテス32歳のときの録音。昔から名盤の誉れ高い一枚だ。
この曲のマイベストはフリッチャイ&BPO盤だが、このケルテス盤もまた違った良さを持っていて捨てがたい。フリチャイ盤が往時のBPOが持つやや暗めの音色と、寂寥感と望郷の念に満ちた歌いっぷりが見事であるのに対しケルテス盤は、録音当時32歳だったということもあってだろうか、音楽がストレートで生気にみなぎっている。金管群の押し、ティンパニの重量感も申し分ない。そしてさすがのウィーンフィルというべきか、弦の音は明るく伸びや、かつ量感があって素晴らしい。 デッカ録音ということで、目前に音像が展開するマルチマイクのデッカサウンドかと思いきや、思いのほか遠近感のある録音で、オケは前後方向に深く定位する。カップリングされている「スラブ舞曲」と「モルダウ」(これらはイスラエルフィルとの演奏)も、フレーズによってスピード感ある疾走と抒情的な歌いっぷりとを巧みに使い分けていて素晴らしい仕上がりだ。
ケルテスは大いに期待されながら、1973年に44歳という若さで亡くなった。イスラエルフィルに客演し、テルアビブで海水浴中の出来事だった
この盤の音源。全4楽章
日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)を指揮するケルテス。1968年5月@東京厚生年金会館
ドヴォルザークあれこれ
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