セルの<マーラー第6>
五月最後の週末日曜日。きょうも関東地方は軒並み30℃超えの暑い一日。風強く湿度が差程でもなかったためか、体感する暑さはきのう程ではなく、ホッとした。夕方を過ぎて陽射しも傾いた頃になって、きのうに続きトワイライト音盤タイム。先日届いたセルの盤から、もっとも注目していた一枚を取り出した。


マーラーの交響曲第6番イ短調<悲劇的>。今回リリースされた盤は第4番とのカップリングで、それぞれがCD1枚に収められている。第6番はセル唯一の録音で、1967年10月にクリーヴランド管の本拠地セヴェランスホールで行われた演奏会のライヴ録音。ライナーノーツによると同年10月12、14、15日と、この曲が三回演奏され、この演奏はおそらく12日か14日のものとのこと。クリーヴランド管にとっても、そのときがこの曲の初演だったそうだ。
マーラーの第6交響曲は今でこそ録音はもちろん実演でもしばしば演奏されるが、60年代以前はマーラー直系のメンゲルベルクやワルター、クレンペラーなども録音を残していないほど演奏頻度は少なかった。そんな中、マーラー録音の少ないセルがこの曲を選んだのはどんな理由があったのだろうか。前述のようにクリーヴランド管としてまだ演奏していなかったということは大きい理由かもしれない。それと音楽として<悲劇的>のタイトル通りのストイックな雰囲気と堅固な構成感がセルの美意識にマッチしたのではないかと思う。
第1楽章冒頭からやや遅めのテンポで始まる。聴きなれたセッション録音のセルとは響きがかなり異なり、分厚い低弦群と打楽器群の強打がこの曲の重々しい曲想を際立たせる。対照的に優しく穏やかなフレーズになるとクリーヴランド管の木管群がピタリと整ったピッチとアーティキュレーションで美しく歌い、聴いていて惚れ惚れするほどだ。第2楽章スケルツォも第1楽章の印象をそのまま引継ぎ、この二つの楽章をセットとする当時の通例に従っているようだ。美しい第3楽章アンダンテも過度に歌い過ぎないところがセルらしい。多くのマーラー指揮者なら、アウフタクトを持つフレーズでは、そのアウフタクトからタメを作ってやや引きずるように次の小節頭に入るだろうが、セルはそうしない。ごくわずかにルバートをかけるものの、それはほとんど自然の呼吸の域を出ず、フレーズはもたれずスムースに流れていく。
ライヴ録音の制約もあって、録音の音質はセッション録音ほどの明瞭度は持たず、左右の広がりもやや乏しい。しかし、全体としては低音域が厚く、この曲で活躍する打楽器軍の迫力も十分だ。終楽章は圧倒的なエネルギー感に満ち、次々と繰り出されて終わることのないマーラーの分厚いスコアの響きが続く。ライブだけあって、全編にみなぎるエネルギー感と緊張感が素晴らしい。セルに鍛えられたクリーヴランド管の響きもまったく弛緩することなく、熱くなる終楽章でもアンサンブルは極上だ。終楽章の最後、一旦静寂になったあとに奏されるイ短調主和音の強烈な一撃には、思わず声をあげてしまうほど驚いてしまった。
セルのマーラー録音は4番、6番、10番のみ。先の通り、セルの美意識からしてそれは必然だったかもしれないが、せめて第5番をさらの残して欲しかったというのが正直な気持ちだ。
この盤の音源。全4楽章。
アバド&ルツェルン祝祭管による2006年のライヴ。ルツェルン祝祭管はザビーネ・マイヤー(CL)、ナターリヤ・グートマン(Vc)他豪華メンバー。第4楽章、例のハンマー一撃は1時間5分50秒過ぎと1時間10分30秒過ぎ。中間楽章は2003年にマーラー協会が宣言した通り、第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォの順。
★★追伸★★
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