気象通報
当ブログ記事のマクラにいつも天気の話が出てきて閉口する向きもあるだろうが、これには少々わけがある。
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その昔、さかのぼること小学校4年東京オリンピックの年、初めて鉱石ラジオなるものを作った。その後、少年向けの雑誌の見よう見まねで、真空管三本を使った三球ラジオ(=並三ラジオ。三球・照代にあらず)を組み立てる。このラジオで最初に聴いたのが「気象通報」だった。一日3回NHKラジオ第2で気象通報が放送されていた(2014年からは一日1回午後4時のみ)。当時も今も、関東をカバーするNHK東京は第2放送(693KHz)の方が出力が大きく、感度の悪いラジオでも良好に聴こえるのは第2放送の方だった。各地の気象データが、沖縄の那覇から始まり日本本土を北進。樺太からロシア極東地区、韓国、中国、東南アジアと回って、父島・南鳥島から最後は日本本土に戻って富士山で終わる。そのあと海上船舶からの報告がある。小学校高学年になった頃、天気図用紙というものがあって、放送を聴きながらそれに書き込んで天気図を作成させることを覚えた。そんなことがきっかけで、ぼくの脳ミソの端っこに天気図がすり込まれているというわけだ。
若い頃はよく山歩きに出かけた。山小屋やテントに泊まったときは、携帯型ラジオで気象通報を聴き翌日の天気を予想したものだが、その後山にも行かなくなり聴く機会はめっきり減った。それでもときどき帰宅したあと、夜10時の放送にダイヤルを合わせることがある。昔と変わらないNHKのアナウンサーらしいトーンで淡々と気象データが読み上げられる。アナウンサーによって中々個性があって20分間の放送を飽きずに聴いてしまうこともある。もう二十年以上前のこと、広瀬修子アナウンサーが気象通報を担当していた時期があった。彼女の読み上げる気象通報は、穏やかで落ち着いたトーンと暖かみのある口跡で、思わず聴き入ってしまった。気象通報というより、現代散文詩を朗読しているかのようだった。ラジオから流れる気象通報も、ぼくにとっては音楽を聴くのとほとんど変わらない行為だ。また、確か90年代に入った頃からだったろうか、ロシア域内の地名呼称も昔と変わった。シスカ(敷香)がポロナイスクに、マツワ島(松輪島)がセベロクリリスクに、テチューヘがルドナヤプリスタニにといった具合に変化して、時の流れも実感する。
ナミサンラジオはもちろん今はないが、ラジオ放送そのものの原理が変わったわけではない。今風のラジオで聴く放送も昔と変わらないトーンで淡々と気象データを読み上げている。YouTubeで聴く気象通報はちょっとリアリティがないが…
かつては中波帯でもいろいろな放送が聴こえた。
中波放送帯のやや外、1669KHz。少し調整がはずれたラジオで聴こえることもあった「各局、各局、各局…さようなら」の<灯台放送>、隣国からのものをされた<乱数放送>などなど。
短波帯ともなれば、不思議いっぱいの世界が広がる。…脇英世氏も若い。
かつては、こんな物騒な機械を並べていた時期もあった。

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