追悼 中村紘子
すでに報道されているように、中村紘子が亡くなった。享年72歳。合掌
言うまでもなく彼女は昭和から平成を通じて、日本クラシック音楽界でもっとも知られた演奏家の一人であり、広く親しまれたアイコンでもあった。ぼく自身も何度かステージに接した記憶がある。かつては自分とはふた世代くらい違うかと思っていたが、実際はそれほどかけ離れていたわけではなかった。カレーを食べて元気そうだった彼女を偲び、手元に数枚ある彼女の音盤の中から、この盤を取り出した。


グリーグ・ピアノ協奏曲。以前一度記事にしている。1979年の録音。大町陽一郎指揮東京フィルハーモニー交響楽団のバック。そして当時ソニー副社長だった大賀典雄みずからプロデューサーを務め、録音機材は当時ソニーが開発したPCM(デジタル)録音機という、鳴り物入りのレコーディングだ。ライナーノーツによれば、芸大卒のバリトン歌手でもある大賀氏はセッションを通じて常にスコアを片手にモニタースピーカーからの音を聴き、中村・大町両氏と意見交換をしてベストテイクを目指したとのこと。付け加えるなら、当時三十代半ばの中村紘子を写したジャケットの写真撮影は立木義浩だ。前橋汀子&篠山紀信を思い出す。このレコードをどういう経緯で手に入れたか記憶にないが、確か知人から「もう聴かないから」と譲ってもらった百枚ほどの盤の中にあったと記憶している。

演奏はかなり個性的だ。すべての楽章でテンポは遅め、表情付けはかなり濃厚で、ロマンティックな解釈。一方で曲が盛り上がった際のフォルテシモの響きは尋常でないほど強靭で、ソニーがデンオンに遅れをとったPCM録音の失地を挽回しようと総力をあげて開発したデジタル機材の威力もあって、スタインウェイのゴージャスな響きが荒川区民会館に響き渡る。それでも第一、第二楽章はよいとしても、終楽章にはやや重く感じる。あのリヒテル&マタチッチ盤が軽快に感じるほどだ。彼女は90年代後半にグリーグを録り直している。
つい二ヶ月ほど前までステージに立っていたことを思うと、早過ぎる逝去はまことに残念でならない。
ご冥福をお祈りいたします。
1960年。中村紘子16歳。N響の海外公演に随行したときの演奏。
★★追伸★★
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