どこへ行くのか 村治佳織
昨晩に続き10時を少し過ぎた時刻に帰宅。今夜もぼちぼち日付が変わろうかという時刻。フレンチローストの豆で1杯ドリップしてPCに向かい、ひと息ついたところだ。このところ平日にはまったく楽器を触っていない。週末土曜日には隣り町のサークルへ顔を出すので、そこで数時間のまとめ弾き。手を付けている曲はいくつかあるが、練習もしていないし暗譜も進まない。こんな状態をぐずぐず続けているうちに歳を取って、指も回らなくなるのかなあと漠然と考える。


せめてギターの音盤でも聴こうかと、村治佳織のCDを取り出した。
ぼくの手元には彼女のデビュー盤から2003年頃までのリリース作品がある。特にロドリーゴの作品を中心に構成されたこの「パストラル」はよく聴いたし、今も時々取り出す。この盤は1997年、彼女がまだ十代の頃の録音だが、その玄人好みの選曲とフレッシュな演奏で彼女のアルバムの中でぼくにとってはベストだ。
「古風なティエント」での神秘的かつオリエンタルなイメージの表出、「小麦畑にて」の浮き立つような抒情。「ファンダンゴ」の土着的な表現、当時二十歳前だということが考えると、いずれも素晴らしい。愛器;ロマニリョスの透明感あふれる音色とそれを引き出す彼女の技巧の冴えも見事だ。
彼女はこの頃から人気の絶頂になり、その後2003年には英DECCAと契約を結んで世界メジャーからアルバムを出すようになる。しかしその頃から、それまでのビクターエンターテイメント時代と比べ、明らかに路線変更が行なわれた。ビクター時代にはクラシックギターの王道をいくレパートーリーで次々にアルバムを出していた。実際このロドリーゴの作品集などは実に通好みの選曲だ。しかし英DECCAに移籍する前後から、ポピュラリティーの強い選曲や、合唱とのコラボレーション、ウィズ・ストリングスなど、随分とあからさまにコマーシャルベースのコンセプトになってきた。彼女自身の方向性の変化や、新たなチャレンジ、いろいろ理由もあるだろうし、それを良しをする向きも多いだろう。従ってそれを否定するものではないが、正直なところぼくは今の彼女には少々幻滅だ。彼女自身の意志によるものなのか「事務所の意向」なのかわからないが、昨今の新譜には手が伸びない。彼女はいったいどこへ行こうとしているのか。
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