山下和仁 バッハ;チェロ組曲第6番
立春でちょっと暖かくなったと思ったら、また冬型に。きょうの当地前橋も朝の通勤時間帯は比較的暖かだったが、その後次第に冬型が強まって、午後からは寒風吹きすさぶ天気をなった。そう簡単に春はやって来ませんね。
さて、週末土日が仕事となったので先週からずっと休み無し状態だが、きょうは何とか9時前に帰宅。夕飯のあと十日ぶりにギターを取り出した。例によってオデルマンドリン教本を使ってスケール練習をし、そのあとバッハのチェロ組曲第1番のギター版をつまみ食い程度に弾いた。バッハのギター用編曲は多数あるのだが、ぼく自身は編曲の良し悪しを検討するほどバッハを弾いていないので、いろいろな版をそのときどきの気分で弾き散らかしている。きょうは高校時代から使っている小船幸次郎編のものを弾いてみた。この盤はチェロの原曲に対して、かなり積極的にギターで出しうる音を追加している。組曲第1番について言えば、第1曲プレリュードは追加音がいささか過剰に感じる。一方、第5曲のメヌエットなどは、ギターの4弦以下の低音と3弦以上の高音のとの役割分担がうまく機能していてので音としてのバランスがよく、弾いていて気持ちがいい。


そういえば、山下和仁がチェロ組曲を録音している盤があったことを思い出して久々に取り出してみた。この盤ではヴァイオリンパルティータ第2番とチェロ組曲第6番の2曲が収録されている。1980年、デジタル録音初期の盤だが、今聴いても音質はクリアで鮮明だ。この当時の山下のギターは、なぜそんなにむきになって弾くのかと思うことも多いスタイルだったが、このバッハはまずまずの曲の運びだ。それでも愛器ホセ・ラミレスから出る音は強じんで「入魂」という言葉がふさわしい。悪くいうとすべての音に強烈なアクセントが付いてくる。およそバッハの世界を抽象的な空間に描き、それを聴き手が自分の世界のものとして受け止め、味わうというものでない。あくまで強烈な個性の山下自身の存在とその匂いのようなものを感じる。当時山下和仁が20年、30年と年齢を重ねてどんな風に円熟していくのか興味があった。その後ぼくもギターから離れていた時期が長かったので、彼のその後はよく知らない。ただ雑誌のインタビューなどをみると、何か孤高の世界に入ってしまい、そこで山下ワールドが出来上がっているように感じる。、単なるエンターテイメントを提供するギタリストは他にたくさんいるのだろうから、それはそれで価値あることだろう。彼がいま、少し控えめで味わい深いバッハを弾くようになっているとしたら、ぜひ聴いてみたい。
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