ジュリアーニ<大序曲>
週明け月曜日。事情あって少し早く帰宅。夕方時間があったのでギターを取り出す。ひとしきりスケールやアルペジオで指慣らし。そののちカルカッシ25の練習曲から半分ほど拾い弾きし、そのあとは目に付く楽譜を気ままに弾き散らかすという、いつも通りの練習にならない練習。先日の記事でマウロ・ジュリアーニの<英雄ソナタ>をさらっていると書いたが、きのうは同じジュリアーニの<大序曲>もヨタヨタと弾いてみた。

マウロ・ジュリアーニ(1781-1829)はイタリアのギタリスト・作曲家。19世紀ギター界の雄:フェルナンド・ソル(1778-1839)とほぼ同世代にあたる。ヴァイオリンやチェロも修め、ベートーヴェンの第7交響曲初演ではチェロパートに参加していたと伝えられている。19世紀初頭のウィーンで大そう活躍し、人気も博したようだ。クラシックギター弾きにはソルと並んで19世紀古典ギター隆盛期を代表する作曲家としてお馴染みの存在だが、作風はかなり異なる。ソルの作品はその豊かな和声感と陰影に富む穏やかなロマンティシズムに満ちているのに対し、ジュリアーニはよりシンプルで明快な作風。イタリアの空を思わせるというと、いささかステレオタイプな言い方になるが、そんな比喩が当てはまる。作風の異なる二人だが、共通しているのは古典的な様式感と和声感、そしてそれらを具現化する道具としての弦楽四重奏やオーケストラの響きのイメージがギターに盛り込まれていることだ。もちろん二人とも管弦楽を使った作品も書いていて、オーケストラの扱いはひと通り心得ていた。実際、ソルの楽曲はその構成音をそのまま弦四の各パートに音を置き換えても、違和感なく古典音楽として成り立つだろう。
ジュリアーニのこの<大序曲>も、楽譜の音形だけ見るといかにもギター的なアルペジオや跳躍が随所に見られるが、弾きながらイメージをふくらませると、オーケストラの響きが容易に想像できる。また、そういうイメージを持ちながら弾かないと、この曲も単なるギターヴィルティオーゾのショーピースに終わってしまう。ギター弾きの中には、他のクラシック音楽をほとんど聴かない輩も多い。しかしギターを弾くにあたっても、管弦楽や弦楽四重奏などに広く親しみ、その響きのいかなるものかを知っていることは、よい演奏だけでなく、単に楽しむ上でも必須事項だと感じる理由はそんなところにもある。
以前ソルの記事に貼った作品54bisのYouTube動画で弾いていたデュオコンビの一人が、この<大序曲>のオーケストラ的要素とギターにおける表現について述べている。1分半過ぎから管弦楽版に仕立てた<大序曲>の一部がMIDI音源で流れるが、実に自然に管弦楽作品になっている。ベートーヴェンが「ギターは小さなオーケストラだ」と言ったのも、当時ウィーンで人気を博したジュリアーニのこうした作品や演奏に接していたからかもしれない。
村治佳織の弾く<大序曲> 2003年とある。彼女がもっとも輝いていた時期だと思う。この頃英デッカを契約し、メジャーレーベルとの契約で大いに騒がれた。しかし以降リリースされるアルバムはクラシックギターの保守本流ともいうべきレパートリーから次第に離れていった。
楽譜付き音源
管弦楽編曲 音源がもう少しまともなら、よりリアリティがあったのだが。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
- ソルのナンバー7 (2018/03/10)
- N・コスト<25のエチュード> (2018/02/05)
- ジュリアーニ<大序曲> (2018/01/15)
- 一周忌 (2017/12/22)
- ピアソラ<タンゴの歴史> (2017/12/18)