S・フッソング(Acc)と加藤知子(Vn)



四月最初の週末日曜日。終日在宅。日中は程々にギターの練習。夕方近くになって少し時間があったのでアンプの灯を入れ、数年ぶりにこんな盤を取り出した。


20200405_Hussong_Kato.jpg


アコーディオンのシュテファン・フッソングとヴァイオリンの加藤知子の協演盤。例によってコロンビアの廉価盤シリーズ:クレスト1000の一枚。1998年録音@秩父ミューズパーク。収録曲は以下の通り、ピアソラとバッハという組合せ。ピアソラが一般の音楽ファンに親しまれるようになったは80年代後半から90年代にかけてだろうか。特にクラシック畑の人達がこぞって取り上げた。ピアソラとバッハが同じアルバムに収まること自体が今世紀的だ。

ピアソラ/
ル・グラン・タンゴ、ミロンガ・ニ調、鮫(エスクアロ)、言葉のないミロンガ、タンゴ・ニ調
J.S.バッハ/
ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ハ短調 BWV1017

ぼくは不案内なので間違いがあれば教えてほしいのだが、アコーディオンはその誕生が19世紀に入ってからというから、楽器としては新しい部類だ。それ以前にも多分様々な試みがなされたものの、当時はまだポータブルの鍵盤楽器を作れるほどの技術水準には至らなかったということだろうか。従ってアコーディオン用のバロック期の組曲もないし、ウィーン古典派のアコーディオン曲というのもない。一般的にアコーディオンあるいはその派生楽器でまず思い浮かべのは19世紀末以降のタンゴやシャンソンなどの音楽だろう。

しかしこの盤を聴くと、もしバロック期にアコーディオンがあったら、携帯可能な通奏低音用楽器としてリュート族と並んで(あるいはそれらに代って)使われたのではないかと想像してしまう。それくらい加藤知子の弾く達者なバッハの通奏低音として、フッソングのアコーディオンは違和感がない。考えてみればアコーディオンの邦訳=手風琴そのもので、ペダルのないコンパクトなオルガンと思えば、パイプオルガンに代って通奏低音の役を担って不思議はない。持続音が出せないチェンバロやピアノと違い、アコーディオンはオルガン同様持続音が出せる。持続音があるとヴァイオリンもその持続音との調和を当然考慮して弾くことになるだろう。その辺りがこの演奏の「予想外の良さ」の一因かもしれない。

それと日本の特殊事情かもしれないが、明治以来日本の教育現場への足踏み式リードオルガンの導入が行なわれ、やはりリード楽器のハーモニカ共々ラジオや蓄音機以前に<国民的音源>として多くの日本人の耳に馴染んでいる。そのためか、こうしたリード楽器の音はノスタルジーも伴い心に沁みる。時代や様式を超えても成り立ち得るバッハの音楽やその当時の通奏低音演奏の柔軟性、またアコーディオンという楽器のやや特殊な成り立ちや独自の音色、そうしたものがないまぜになりながら、斬新ではあるが、どこか懐かしく、かつ違和感のない音楽になっている。


手持ちの盤からアップした。バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタハ短調BWV1017から第4楽章。


同 ピアソラのル・グラン・タンゴ。


フッソングの弾くバッハ:イギリス組曲第2番のプレリュード。


ついでといってはナンだが、関連する音源を貼っておく。
サリア・コンヴェルティーノというアコーディオン奏者が弾く「シャコンヌ」


同じリード楽器ながら、こちらは日本の国民的楽器ともいえる鍵盤ハーモニカによるバッハ無伴奏チェロ組曲第3番プレリュード。松田晶氏の演奏。



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Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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