メンゲルベルクのマタイ
きょうは教会暦でいう「聖金曜日」。今夜聴くべき音楽はこれしかないだろう。

ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)指揮アムステルダム・コンセルヘボウによるバッハ「マタイ受難曲」。1939年4月2日、復活祭前の「棕櫚の日曜日」に収録されたライヴ録音。手持ちのLPセットは70年代後半の学生時代に買い求めたもの。マタイが聴きたいという気持ちと、貧乏学生という現実的な状況から、当時手に入る中では唯一3枚組で価格が最も安かったという理由で選んだ。もちろん、この盤について必ず語られる「聴衆のすすり泣きが聴こえる」ことも理由の一つだった。
この盤については書籍でもネットでも多くが語られているので、もはやぼくが追記することはない。こうして久々にターンテーブルに載せて針を落としてみると、まだSP盤時代のモノラルかつ条件の悪いライヴ録音の録音状態にも関わらず、切々と胸に迫るものを感じる。数ヵ月後にはナチスドイツのポーランド侵攻が始まるという、まさに大戦前夜の晩。この大曲は演奏する側にも聴く側にも特別な思いがあったに違いない。
メンデルスゾーンによって復興したバッハのこの曲。以来受け継がれたと思われる19世紀のロマンティックな演奏様式を誰はばかることなく前面に出すメンゲルベルクの指揮に、当時も今も欧州トップの実力を誇るコンセルトヘボウのオケが応える。大編成のオケと合唱団、冒頭のイントロダクションから後ろ髪が引かれるようなフレージング、楽譜にはないポルタメントを付けて甘美かつ悲痛に歌うメロディーライン、重々しい低弦群のうなり…。今となっては大時代的のひと言で相手にされない演奏様式だろうが、この時代の記録ということに留まらず、圧倒的な説得力を感じてしまう。 そして曲の後半、アルトが歌う♯47曲アリア「主よ憐れみ給え」。アルトが切々と歌い、ヴァイオリンのオブリガードがポルタメントをかけて寄り添う。そしてヴァイオリンの間奏の後ろで、マイクロフォンの近くのものと思われる女性の嗚咽がかすかに、しかししっかりと聞こえてくる。明日は戦渦に巻き込まれるかというときに、しかも宗教的背景を身に付けた(おそらくは年配の)女性がどんな気持ちでこの曲を聴き、思わず嗚咽を漏らしたのか。80年後の今、極東のほとんど宗教的規範のない人間が、そんなことを考えながら聴くことの不思議をあらためて感じる。この盤は古い録音、古い演奏様式ではあるが、その後現在に至るまでの様々な名演奏・名録音を差し置き、初めてこの曲に接しようと思う人にもあえてこの録音を推してしまう。
マタイを聴くと人生が変ると言われる。残念ながらまだ実演のマタイに接していない。もちろん聴いてみたい。がしかし一方で、何とはなしにこの曲だけは実演に接したくなくという妙な気持ちがあって、今に至っている。
この盤の全曲。例のアリア♯47曲「主よ憐れみ給え」は1時間48分30秒から。概要欄にある♯43のタイムスタンプをクリックするとその曲へ飛ぶ。この演奏はいつくかの曲をカットしている。番号がずれているのはそのためだろう。
アリア♯47曲「主よ憐れみ給え」
ネザーランド・バッハ・ソサエティによる全曲
https://youtu.be/ZwVW1ttVhuQ
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