高橋悠治のバッハ
六月最初の週末土曜日。朝から野暮用いくつかこなし、昼をはさんで留守番。雑誌を眺めつつ、BGM代わりのこんな盤を取り出した。

高橋悠治(1938-)の弾くバッハ。
高橋悠治といえば70年代以降、気鋭のピアニストとして現代音楽の領域で第一線を進んでいた存在として記憶している。一方でバッハを始め古典期から近代までの作品も録音に残した。十数年前に当時の一連の録音が「高橋悠治コレクション」として13タイトル復刻された際、バッハを2セット買い求めてみた。パルティータ全6曲、フランス風序曲、インヴェンションとシンフォニア、イタリア協奏曲が収められている。実は手にした当時、一聴してその解釈に違和感を覚えてから以降、ほとんど聴かずに放置したままだったので、きょうは久々に聴いたことになる。
インヴェンションの第1曲が流れてきてすぐ、やはり曲の運びが引っかかる。彼が繰り出す装飾音、それに伴って元々の旋律が刻んでいる拍節感が微妙にずれるところがどうにも気になってしまう。正確にメトロノームを合わせたわけではないので、実際のテンポやビートがずれているのかどうかは定かでないが、ぼくの鈍い耳には、テンポが不規則に揺れるあるいは引っかかるという感じに聴こえてくるのだ。グールドの解釈はユニークだといわれ、確かに通例よりも速いあるいは遅いテンポをとることもしばしばだが、そのテンポの中での拍節感はまったく変化なく、装飾音を繰り出しても正確なビートを刻みながら曲が進んでいく。そこに違和感は感じない。高橋悠治の演奏を第2曲以降よく聴いていくと、どうやら旋律的な曲でその傾向が強く、対位法的な曲ではそうしたことはなく正確なビートで各声部を弾き進めている。そのためそうした曲ではさほど違和感はなく楽しむことが出来た。またWikipediaには「バッハを弾くのなら、一つ一つの音はちがった役割を持つので、粒はそろえないほうが良い」と高橋が語ったとあって、なるほどと合点した。どうやら彼は予定調和的なアーティキュレーションを良しとしない立場を取ったのかもしれない。…と、こんな風に聴いたあとでライナーノーツを見て納得した。この演奏は原曲の初稿ともいうべきいわゆる「装飾稿」による演奏であること、また解釈や曲順等に高橋の意図が色濃く反映されていることが記されていた。なるほど一聴して奇異に感じるのも当然かもしれない。そのあたりの経緯は日本コロンビアのサイトに詳しく書かれている。
イタリア協奏曲の第1楽章は手持ちの盤の中では最速かと思わせる速さで始まり、浅めの呼吸でそのまま最後まで突っ走る。主題の切替えでルバートをかけることもなく、見得を切ることない。最初は食い足らない気分で聴き始めたが、少し聴き進めるとさほど違和感なく耳に入ってきた。これはこれでいいかもしれないと思えてきた。少々不思議な演奏というのが偽らざるところだ。この録音から40年以上を経過した今、どんな演奏をするのだろう。
手持ちの盤からアップした。イタリア協奏曲第1楽章アレグロ
同 パルティータ第2番ハ短調第1曲シンフォニア
小フーガBWV578。これはごく素直に耳に入ってくる演奏。そしてときにロマンティックな表情で驚く。
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