小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ ブラームス 交響曲第4番


ブログの記事を書いてアップしたりする管理画面を一日一度は確認するのだが、時々おやと思うことが起こる。それは拍手の数だ。記事に一番下右端になる<拍手>と書かれたボタンが押されるごとに拍手がカウントされる。一日数件の拍手がある場合もあれば、何日間もないこともある。それは自然なのだが、ときどきものすごい数がカウントされることがあるのだ。きのうがそれで、過去のたくさんの記事に満遍なく拍手が入っていて、その数230余り。数日前にも50件ほど拍手があったし、以前やはり200件以上の拍手があった。どこのどなたか知るすべもないのだが、過去の記事をたどって読み、その都度拍手ボタンを押してくれたことになる。駄文を書いた当方としては有難いを通り越し恐縮してしまう。そのXさんへ。よろしければ一言コメントでも。こちらで確認・承認するまでは公開されませんので安心して。


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さて、きのうおとといといつもの通り怠惰な正月を過ごしていた。きのうは暮れに買っておいた本、村上春樹と小澤征爾の対談本が久々に面白く一気に読んだ。書店の目立つところに平積みで置いてあって、多分知名度、人気とも抜きん出た両名の名前で随分と売れているのだろう。が、この本、そこそこクラシックを聴き込んでいないと、この本の面白さは十分には分からないかもしれない。もちろん色んな読み方があって、ともかく二人が普段着で語っている様が楽しい、小澤の披露するエピソードが面白い、そういう側面だけでも十分価値はあるだろう。しかし例えば、ブラームスの1番の交響曲について語り合うくだりで、第4楽章で主部に入る前のホルンのフレーズ、そのあとに続くフルートのフレーズ、あそこで…といった話題になったとき、ああ、あそこねとピンとこないとこの本の面白さは半減する。つまり曲のフレーズが頭に入っている、言い換えれば曲を聴きながらほとんど鼻歌でこの曲を歌える程度に知っていると、この本の面白さは倍増する。
この本ではグールドとバースタインによるブラームスのピアノ協奏曲第1番の話で始まる。ここでもうこの曲を知らないとその後の会話の半分以上は「そういうものなの」で終わってしまうだろう。以降、ベートーヴェンの3番のピアノ協奏曲、マーラー、ベルリオーズと曲を変え、二人が各種の録音を聴きながら話が進む。そういう意味でこの本は、そこそこクラシックを聴き、同じ曲を様々演奏で聴き比べている愛好家には最高に面白い。音盤愛好家ならきっとこの二人の話に加わってみたいと思うに違いない。極めて僭越だが、ぼくもこの本を読みながら、そうそう、ふむふむ、そこはねえ、などとうなづくことしきりだった。

この本の中でも度々出てくるサイトウ・キネン・オーケストラとのブラームスの4番があったので久々に聴いてみた。同オケが国内外で注目され評価され始めてすでに何年かたった1989年ベルリンでの録音。カラヤンとベルリンフィルが60年代に主要な録音を行ったイエス・キリスト教会で録られている。まことに立派で熱のこもった演奏だ。この当時のサイトウ・キネン・オーケストラは、ヴァイオリンに潮田益子加藤知子、宗倫匡、戸田弥生、堀伝、ヴィオラには今井信子、店村真積、チェロには岩崎洸、倉田澄子、徳永兼一郎ほかそうそうたるメンバーが揃っていた。管楽器群ももちろんだ言うにおよばない。そういうメンバーは小澤征爾を通してその先に斉藤秀雄を仰いで全力投球するのだから、結果はおのずと明らかだ。第1楽章から枯淡の味わいは微塵もなく、うねるような弦楽器群のマッシブな響きに圧倒される。当時日頃聴き慣れたN響などとは明らかに違っていた。芯のある強い音でよく歌う。ピアニシモでも緊張とエネルギーを内在している。多分合奏能力としては非の打ちどころがない演奏かもしれない。
しかし、この4番のあとぼくは続けてリリースされたブラームスのアルバムを結局買っていない。理由は簡単で、素晴らしい演奏には違いないが好みには合わなかったからだ。小澤ファンからひんしゅくを買うことを覚悟で言うと、もう一段音楽の「溜め」が欲しいからだ。曲全体が前進するエネルギーに満ちていて、フレーズが前のめりに聴こえてくる。もう一瞬待ってほしいと思うところで音が出てくるのだ。その結果、音響的には極めて充実しているのにもかかわらず、音楽が軽量級に聴こえてきてしまう。これがテンシュテットやチェリビダッケだとこうはならない。全曲を聴き終わったあとも、熱狂は残るが、心身とも満たされたという深い充実感がない。これはもっぱら個人的な嗜好の問題なので、もちろんこの演奏の評価とは別の話だ。

早いものでサイトウ・キネン・オーケストラも四半世紀の歴史を刻んだことになる。最近の様子はまったく不案内。ただ2002年にニューイヤーコンサートに華々しくデビューし、ウィーンオペラのシェフになって順風満帆だった小澤征爾だが、一方でこの10年間は本当に身を削っての日々だったことが、最近の風貌の変化を見るにつけ感じる。誰もが彼に「マエストロ、少しゆっくり休んだらいかがでしょう」と言ったに違いないが、この本の中で村上春樹も言っている通り、小澤征爾の体内サイクルは昔も今も常に走り続けるように出来ているのだろう。


1987年頃にNHKで放映されたドキュメントがYouTubeにあったので貼っておく。全部で5部に分かれて全編がアップされいてるが、ここでは最初のものだけを。




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対話のこと、とても面白く読みました。
平野啓一郎著『葬送』でショパン最後のリサイタルの曲、舟歌や、チェロソナタなどが描写されています。舟歌を聴きながら読んでみたら、読んでいる箇所と、曲の進行が合うことに、妙にドキドキしました。


Re: タイトルなし

nade45さん、こんばんは。
古い記事を拾っていただき、ありがとうございます。音楽愛好家って、楽器を弾く人、聴くだけの人を問わず、みなそれぞれに一家言ある人も多く、話をするとなると案外神経を使いますね。気のおけない友人とのんびり自由に音楽の話をするのが理想ですが、意外と機会に恵まれません。
平野啓一郎の「葬送」は評判だけは承知していました。お読みになったのですね。平野啓一郎、石田衣良、堀江敏幸といった若手作家達はみなクラシック通で、音楽やオーディオの雑誌にもよく登場します。

小澤・サイトウキネン・ブラームス

小澤征爾さん。FMとかの放送録音のエアチェックでよく聴いていました。
唯一実演に行けたのは、新日フィルでのオルフのカルミナ・ブラーナでした。
評価の別れる方ですよね。斎藤メソッドの体現者としての役割を果たし、
一事業を終えようとしていますが、その後、指揮者で色濃くそれを引き継ぐ
後進がいるのかどうか。もう定着してしまっているのかよくわかりませんが、
小澤さんとサイトウ記念はそのような関係だったのではないかと
思っています。意を同じくするものという意味では作りだされる音楽にも
齟齬はないでしょうし、ある意味気心しれてやりやすいかもしれません。
このブラームスの4番持っていました。演奏はかっこいいのですが、
ガスの炎のようにカロリーは高いが、見た目クール。
ブラームスだとキャンプファイアーの様な炎をイメージするので、 
どうもイマイチイメージが合わなかったりします。これは個人の
問題ですね。演奏能力は高くたぶん申し分ないものだと思うのですが
左脳で聴いてしまいがちになります。
村上春樹さんの文庫は読んでみたいと思います。今頃(>_<)。
大西順子さん(JAZZPIANIST)が本厚木CABINで
引退公演されたことは、後々知りましたが、そこに村上・小澤さんが
来られていたとは、知りませんでした。おしのびだったのか、騒ぎには
なりませんでした。(同市民としても知らなかったもので・・・)。
大西さんも復帰していてその後アルバムも出ていますね。

Re: 小澤・サイトウキネン・ブラームス

mobuさん、まいど。
いろいろ意見があるのでしゅうが、小澤征爾は70年代半ばから80年代半ばあたりまでが一番よかったのではないかと思っています。結局彼は老成するタイプではなかった。今も昔も音楽に対する姿勢、解釈、物理的な指揮ぶりなど、若い頃と変わっていないように感じます。それはそれで小澤征爾の個性であり、価値あることなのでしょう。

大西順子は華々しくデビューした頃に少々入れあげました(^^; そのころの盤と、2008年に復活した時の盤が手元にあります。その後再び引っ込んでしまったり…どうなるのか、もひとつ分かりませんね。
http://guitarandmylife.blog86.fc2.com/blog-entry-335.html

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