フリッチャイ&ベルリン放送交響楽団 チャイコフスキー 悲愴交響曲



十年ほど前まで、仕事がプレッシャなどとあまり感じることはなかった。自分が解決すればイインじゃんと生意気な口を叩いて平気にしていられた。それがどうだ、今ではちょっとしたことで滅入ってしまう。箸が転んでもおかしい年頃というのがあるが、箸が転んでも落ち込んでしまう五十男のだらしなさよ…嗚呼。
きょうは仕事で箸が何本か転んで落ち込んだ。こんな夜は心の荒療治しようかと、チャイコフスキーの第6交響曲『悲愴』を聴くことにした。選んだ盤は写真の1枚。


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またまたフリッチャイの登場。他にも指揮者はいるだろう、まして悲愴ならいくらでも選択肢はあるはずだと言われれば確かにその通り。悲愴は格別思い入れのある曲ではないが、それでも手元にある悲愴の音盤を思いつくままに挙げてみると…メンゲルベルク&アムステルダムコンセルトヘボウ(古っ!)、カラヤン&ベルリンフィル(60年代DG盤、70年代EMI盤、88年来日公演ライヴ盤…カラヤンが好きなわけでもないのに3種類も)、ムラヴィンスキー&レニングラード(60年代DG盤)、シルヴェストリ&フィルハーモニア管、マルティノン&ウィーンフィル、バーンスタイン&ニューヨークフィル(新・旧)、小澤&パリ管、モントゥー&ボストン響、アブラヴァネル&ユタ響、他にも何点かあったはずだ。しかしこのフリッチャイ盤にはそれらを差し置いて断然トップの評価を与えたい。録音は1959年。フリッチャイが白血病の闘病から一時的に復帰した際に録音されたと聞く。しかし長い間世に出ることなく年月が過ぎ、40年近くたった1996年に初めてリリースされた。

正直なところ悲愴はそうそう気軽に聴ける曲ではない。チャイコフスキーの交響曲の中で聴く頻度としては第5番・第4番・第1番、その次くらいに第6番悲愴がくる。やはりこの曲は重いのだ。第1楽章から暗く悲しく、第2楽章の4分の5拍子の軽快な運びも、どこか力なく哀れすら感じる。第3楽章は力感あふれる行進を思わせるが、それだけに終楽章に一気に悲痛の底に沈められるような気分になる。
演奏とその演奏家の人生とを対比させる聴き方はほとんど興味がないが、このフリッチャイ盤に限っては、活躍の真っ最中に病魔に侵された彼の人生と、この悲愴交響曲の演奏とを結び付けてしまう。手兵ベルリン放送交響楽団の弦楽セクションの面々は、病魔と闘う目の前のマエストロへの思いを込めて弓をひいているのだろう。つむぎ出される旋律から涙がこぼれ落ちるかのようだ。フレーズの息は長く、後ろ髪を引かれるかのように綿々と奏される。6個の弱音指示から始まる冒頭、突然のフォルテシモ、再び訪れる静寂とその直後の絶望的なトゥッティ…すべてに意味が込められ、見かけだけの上塗りでない音楽が続く。こうしたフリッチャイの録音を聴くたびに、まさにこれからという壮年期に世を去った彼の若すぎた死を悼まずにはいられなくなる。


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No title

こんばんは
私はこの盤はもっていませんが、先日のフリッチャイ盤ブラームス、ドッペル・コンチェルトが届き、期待通りの内容で満足しています。

カラヤンって、いつのまにか集めているんですよね^^

Re: No title

michaelさん、こんばんは。

> カラヤンって、いつのまにか集めているんですよね^^

そうそう。アンチだとか何とか言いながら…
70年代半ばの学生時代にはFMで放送されるヨーロッパでのライヴ録音でもよく聴きました。ライヴの演奏はどれも熱っぽくて良かった記憶があります。

プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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