アファナシエフのバッハ平均律 BWV.849&873
六月も半ばとなって今年もまもなく折り返し地点だ。週末金曜日。今週も終わったなあ…。ハイ、お疲れ様でした。
そういえば今週は月曜からまったく音楽を聴いていなかった。相変わらず聴く意欲がわかない。前回の記事でアップした作曲家年表であらためて古今の作曲家の名前を見ていても、それじゃあの作曲家のあれでも聴こうかと、そんな連鎖が起こらないのだ。ましてやギターを取り出して練習する気にもなれない。ここ数日も夜はぼんやりPCでネットを眺めているうちに夜が更けた。


これではいかんと、五日ぶりにアンプの灯を入れた。棚を見回して、以前も一度記事に書いたヴァレリー・アファナシエフの弾くバッハの平均律クラヴィーア曲集を取り出した。第1集、第2集それぞれCD2枚で構成され、今も日本コロンビアから出ている。
もちろん順番に聴いてもいいし、何気なくBGM的に聴くときはそんな聴き方をするが、今夜はだらだらと聴く気分になれず、第1集、第2集それぞれから嬰ハ短調の曲を選んだ。BWV.849と873がそれだ。嬰ハ短調…その語感だけで、身が引き締まり、居ずまいを正して目を閉じたくなる。実際この2曲は各24曲の中でも、深く瞑想し思索する雰囲気を持つ名曲だ。BWV.849の前奏曲。アファナシエフはかなり遅めのテンポを取り、音階の一つ一つの音を確かめるように、階段をゆっくりと上っていくかのように弾き進める。もちろんポリフォニーの音楽なのだが、まるで無伴奏ヴァイオリンを聴いているかのような錯覚さえ覚える。続くフーガもしかり。5声からなるフーガであることが信じられない。フーガというとフレーズを重ねながらゴシック建築を築いていくような感じを持つことが多いが、アファナシエフのこの演奏ではそういう指向が感じられない。音楽は解体されて淡々とすすむような感がある。何とも不思議な感じだが、あるいはバッハのこの曲はそう書かれているのかもしれない。
グリモーの弾くBWV.849
ニコライ・デミジェンコのBWV.873
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