ギター工房訪問記 九州・久留米 中山修
現在、福岡久留米で竹製ギターを中心に製作をしている中山修氏の工房を数年前に訪れた際のことを記す。すでに数年が経過し、いささか旧聞に属する話もあるがご容赦のほどを。
<中山修ギターとの出会い>
クラシックギターを始めたは高校2年1971年のこと。そのとき買った楽器がツルシの量産品;松岡ギター。その後手工ギターが欲しくなり選んだのが、当時ギタルラ社で売り出し中の製作家;中山修氏の楽器だった。大学1年の冬休み、友人と連れ立って目白の同社まで出向いて選んだ。以降社会人になってしばらくの間、この楽器でギターを楽しんだ。80年代前半のあるとき、指板横の表板に小さなクラックが入ったので修理してもらおうとギタルラ社へ電話をした。ところが中山氏は消息不明、長野で家具職人をしているという噂もあるが、連絡が取れないという。修理は他の製作家がきちんと対応するとのことだった。
その後二十年近くギターと疎遠の日々が続いたが、2000年代に入ってギターを再開。楽器選びを兼ねてあちこちの楽器店や工房を訪問するうちに、自分が最初に手にした手工ギターの製作者である中山氏に一度連絡を取りたくなった。ギタルラ社に何年かぶりで電話をするも相変わらず連絡先は不明。そんな状態で数年が経った2007年夏、たまたまネットを検索していたところ、ギター製作家;矢敷惠(サトシ)氏のHPで、中山修氏は健在、福岡・久留米で竹を使ったギターを製作していることを知った。さっそく矢敷氏経由で中山氏に連絡を取った。電話口の向こうからは元気な声。事情を伝え1975年製中山修ギターのメンテを依頼し、ギターを送った。数日して中山氏から電話があった。実は自分の作ったギターを修理するのはこれが初めて。そして30年ぶりに自身の楽器と初めて再会し、涙が止まらなかったという。それには訳があった。
<中山修氏のこと>
中山修氏は当初演奏家を目指し小原安正氏のもとへレッスンに通っていた。その後ギター製作に興味を持つにいたり、小原氏の支援もあってマドリッドの名門ホセ・ラミレス工房へ入り、60年代黄金期の同工房で9年間を過ごすことになる。帰国後長野に移り住み70年代に入って製作を開始。新進気鋭の製作家としてスタートを切った。ぼくの買ったギターはちょうどその頃のものだ。しかしようやく製作も軌道に乗り始めた70年代の終わり頃、オートバイに乗っていて大きな交通事故に遭う。幸い一命は取り留めたものの、まったく手の自由が効かなくなるという悲劇に見舞われる。過去の記憶の多くも失うほどの大きな事故であった由。もはや自分のギター人生はこれまでと思いつめ、ある日、将来に備えてストックした材料や工具、様々な資料や楽譜を号泣しながら打ち捨てた。その後夫人の実家がある九州・久留米に移り住み、地元の木工工場で一人の職工としての生活を始めた。
しかしギター製作への思い絶ち難く、木工工場を定年まで勤め上げたのち、2000年代になって再び製作を志すに至った。折から久留米市城島地区は竹の産地として知られることから、この竹を使って町おこしは出来ないかとのと話もあり、竹製ギターの製作に取り掛かり現在に至る。
<工房訪問;2007年10月>
そして縁は奇なるもので、30年来の願いかなって中山氏と連絡が取れ、ギターのメンテナンスを依頼した直後、久留米へ仕事で出張することになった。よくよく仕事訪問先を調べると、まさに中山氏宅のごく近く、同じ町内であることがわかった。
2007年10月初旬、予定した仕事の前日の日曜午後久留米に入り中山氏にお会いした。事故から25年が経ち、手や指の感覚はまだ完全ではないものの、何とか工具を持つことは出来るという。町おこしの予算支援もあって、自宅横には新しい工房が建設中だった。自宅の和室には製作途中の竹製ギターや、氏の工作技術の高さが伺える総黒檀製のサックスもあった。その夏にメンテナンスを依頼したぼくのギターも修理が完了していた。初めてのメンテナンスだったというその私のギターで2、3曲弾いた。中山氏は様々な思い込み上げてか、涙ながらにつたない演奏に拍手してくれた。






<工房再訪;2008年2月>
更に奇縁は続く。翌年2008年2月再び仕事で久留米を訪れることになる。まさかの再訪。仕事の出張がなかったら、さすがに当地北関東から九州まで再訪ということはなかっただろう。前年秋に建設中だった工房は完成し、立派な看板がかかっていた。町おこしへの貢献も進んだのか、ギターだけでなく将来はバンブー楽器によるオーケストラをと依頼され、ヴァイオリン属の製作も進行中だった。ネットで自分の名前が知られるところとなってから様々な人から連絡があったり、ギタルラ社のA氏やO女史とも30年ぶりに再会したという。過去の様々な思いはあるのもの、今はこの上ない幸せを感じながら製作をしているとのことだった。その後、中山氏や竹製ギター取り巻く状況も随分大きく変化している様子。代理人によるHPも作成されている。




<1975年製中山修ギター>
表板は松、横裏板は今どき中々お目にかかれない黒々とした縞模様が美しいインディアンローズウッド。ラミレス工房での9年間の修行を終えスペインを去る際に持ち帰った100セット分の材料を使って作られた由。事故に遭うまでの数年間に製作した本数は30本に満たないという。弦長660mm。ヘッドデザインの他、表板を斜めに走る力木、横板のシープレス貼り合せなど、ラミレス工房での9年間の成果が反映された楽器だ。ぼくがこれまで弾いた楽器の中でもトップクラスの音量感。高音が甘く艶やかで低音は目立つウルフトーンもなくハイポジションでもよく伸びる。ラミレスを更に甘く太くしたような音色感。ネックは本家ラミレスほど太くなく弾き易い。



メンテナンスを終えた中山修ギターをそのまま使い続けることは当然考えたが、現在の自分の音色嗜好とは少し異なることから、ちょうどギターをグレードアップしたいという当地地元の学生に事情も話して譲ることにした。今は彼女の元でスペインの薫り高い音を奏でていることだろう。
最近では中山氏の竹製ギターを試奏した村治佳織からも注文が入り、少し前に納品されたという。また竹素材だけでなく、オーソドクスな材料によるギターも作り始めている。竹製ギターに関して数年前の訪問時に弾いた印象では、音量感はやや控えめながら、特に高音の透明感あふれる音色と長いサステイン、和音の分離やバランスに優れた印象に残っている。その後様々な改良が進み、プロフェッショナルのコンサートにも使える楽器として人気を得ている様子だ。数奇な運命をたどった中山氏の今後の活躍に期待したい。
-これまでのギター工房訪問記-
堤謙光(浦和)
廣瀬達彦/一柳一雄・邦彦(名古屋)
松村雅亘(大阪)
西野春平(所沢)
田邊雅啓(足利)
-今後記載予定-
庄司清英(大阪)
野辺正二(浦和)
↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓バナークリックお願いします↓↓↓

にほんブログ村
- 関連記事
-
- ギターの手入れ 私的方法 (2012/10/09)
- ギタリストの愛器 (2012/08/11)
- ギター工房訪問記 九州・久留米 中山修 (2012/08/06)
- デイヴィッド・ホワイトマン作 ハウザー1世1940年モデル (2012/07/10)
- Chappell(チャペル/シャペル)社のギター (2012/04/19)