アバド逝去
きょう20日朝、クラウディオ・アバドが亡くなった。
週明け月曜日。今月は中々に業務ひっ迫。少々居残り仕事をして9時少し前に帰宅。ひと息ついて自室を暖める頃には日付が変ろうという時刻。PCのスイッチを入れて渋茶をやりつつぼんやりネットのニュースを眺めていて訃報に接した。享年80歳。合掌。
アバドも80歳だったのか…。まずそう思った。ぼくが音楽をせっせと聴きだした70年代中盤には若き旗手にして次世代を担う指揮者だった。一方でその頃、彼のブラームスやチャイコフスキーを聴きながら、呼吸の浅さと前のめりの音楽に、アバドのどこがいいのかとも思ったものだ。
その後カラヤン亡きあとのベルリンフィルのシェフをなり、近代化と国際化を推し進めたアバドだが、同時にベルリンフィルを軽量化しただの、譜読みの浅さを指摘する声も絶えなかったと記憶している。ぼく自身はそういうわけで、決して彼の熱心なファンではなかったのだが、手持ちのいくつかの盤に聴く彼のしなやかで健康的な音楽作りがぴたりとくるものもあって、特にメンデルスゾーンやマーラーには愛着を持っていた。


今夜はそんなことを思いつつ、シカゴ響とのマーラーの第5交響曲の盤を聴くことにした。アバドにとっては最初のマーラー5番。1980年録音。手持ちの盤はカートンボックス入りの独グラモフォン輸入盤。確かお茶の水界隈の中古レコード店で買い求めたはずだ。¥1,450のプライスタグがまだ付いていた。ハンナ・シュヴァルツが歌う「リュッケルトの詩による5つの歌曲」がカップリングされている。
結果論として振り返ってみると、アバドはやはり80年代までのロンドンフィルやシカゴ響との時代がベストではなかったかと感じる。このシカゴとの演奏も颯爽としていて、かつ力ずくにならずにシカゴ響のパワーをうまく制御してしなやかな歌を引き出しているように思う。そして注意深く聴くと各声部がよく分離してクリアに聴こえてくる。シカゴ響の特性もあるだろうが、70年代までの独グラモフォンの音響バランスとは明らかに違う。例のアダージェット楽章も、明るくクリアで清々としていて、これはこれでいいマーラーだなあと思うのだ。
晩年はこのルツェルンのオケを指揮して、ベルリンフィル時代には見られなかった活き活きとした演奏をした。5番全楽章。冒頭44秒に観客席でちらっと映っているのはポリーニだ。
アダージェット
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