バルテュス展 & マーラー交響曲第8番


先日の記事にチラッと書いたバルテュス展に行ってきた。通常は17時閉館だが、週末金曜日は20時まで開いていると知り、一昨日金曜日に都内での仕事を終えたあと、折から梅雨入り直後のどしゃ降りの中、上野の東京都美術館へと向かった。テレビや雑誌で取り上げられたこともあって、会期中ずっと混雑していたらしいが、その日は雨が幸いして人出少なく、速からず遅からずペースで一時間半、ゆっくりと観て回ることができた。


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部屋、少女、猫の三つがバルテュスの主要モチーフだったとか。少女はおおよそ15歳から20歳。なぜ少女をとの問いに、純粋無垢だからと。半世紀以上昔のフランスやスイスの片田舎ならそうだったのだろうか。描かれている少女の多くは性器と脚を露出している。特に脚が長く強調されていて、非現実的な雰囲気ながらエロティックに映り、バルテュスの偏愛ぶり(今風にいえば、脚フェチというところか)さえ伺える。
光と影、聖と俗、永遠にして脆いもの…よく語られる言葉がここでも当てはまる。バルテュスにとって少女は、永遠のものであり、かつ愛と美と性という、永遠のトライアングルを象徴する存在でもあったのだろう。同時にそれはゲーテがファウストで書いた「永遠に女性的なるものが、われらを高みへと引き上げる」に通じる。この西洋の永遠ともいえるテーマでマーラーは第8交響曲「一千人の交響曲」を作った。

ラトルのマーラー全集ボックスの#7。2004年にバーミンガム市響と入れたもの。この録音で80年代から始まったラトルのマーラー録音は全集として完結。すでにベルリンフィルのシェフに就いていたラトルがなぜ古巣のバーミンガム市響と録音したのかは定かではない(一部には予算抑制との噂も…)。ぼくはラトルの熱心なファンではないので語るほどのものはないのだが、彼のマーラーを聴く限り、勢いで押していく演奏をするタイプではない。マーラーの大曲ともなれば、もっとオケをガンガン鳴らして迫力で聴かせる手口もありそうだが、この録音では極めて精緻で室内楽的ともいえる演奏を繰り広げる。だから各パートの複雑な音の絡み合いも手に取るように聴こえてくる。スコアを徹底的に読み込み、各パートのバランスに腐心した結果だろう。ゲーテの書いた「永遠に女性的なる者」によって高みへ引きあがられていくフィナーレはいつ聴いても感動的だ。まさに一条の光が射してくるように、それまでの複雑な音の綾が解きほぐされ、透明でありながら力にもあふれる合唱がオルガンと共に響き渡る。


感動的なフィナーレ。ラトル&ナショナル・ユース・オケ@2002年プロムス。



バーンスタイン&VPOによる全曲。



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Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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