カラヤン没後25年 ラストコンサート1988@東京文化会館
今週始めにマゼールの訃報が伝えられ、あちこちのブログでそのことが取り上げられている。84歳だったそうだ。そうかあ、マゼールも84歳か。そういえば今年の年頭に亡くなったアバドも80歳を超えていたっけ…。考えるまでもなく当たり前のことだが、自分と自分が接した世代はいつまでも同じ歩みをしていて万年青年のような気分でいるが、はた目には着実に年を重ねている。
そんなことを思いつつネットみていたら、きょう7月16日はカラヤンの命日とあった。1989年7月16日に81歳で亡くなってからちょうど四半世紀ということなる。ついこのあいだのことのようだが、思えば遥かに来たものだ。


亡くなる1年前、1988年の4月末から5月初めにかけ、カラヤンとベルリンフィルの最後となった来日公演があった。そのときの演奏が数年前にCD化されたものの中の1枚を取り出した。1988年5月4日東京文化会館。記録によると、この日の東京地方は晴れ、最高気温は25℃を超えた夏日。初夏の到来を感じるような暑い一日だったろうか。陽が落ちて昼間の熱気が収まった上野の森。当日のプログラムはベートーヴェンの4番とムソルグスキー「展覧会の絵」だった。この頃ぼくは音楽から疎遠になっていた時期で、当時の様子で記憶しているものは何もない。折りしもバブル全盛期。高価なチケットも跳ぶように売れ、会場は着飾った聴衆でいっぱいになっていたに違いない。
ベートーヴェンの4番。遅めのテンポ、分厚い弦楽群の響き、深いアインザッツ、悠然としながらも一音一音のこもる力感…。壮年期の演奏とはまったく趣きを異にする重厚で深い表現だ。颯爽とした60年代カラヤンのイメージの延長線上とは思えない。それでも、ゆったりとしたフレーズでのレガートな歌いっぷりにカラヤン節が現れる。
展覧会の絵も同様の表現だ。ベルリンフィルが重量級と称された最後の時期かもしれない。展覧会の絵は、華麗で壮大な管弦楽という側面に光が当たりがちだが、一方で組曲を構成する各曲は様々な顔を持っていて、ロシアの土俗的イメージだけでなく、フランス近代を思わせるむせ返るようなロマンティシズムも現れる。ラヴェルが管弦楽編曲をしているのだから当然といえば当然なのだが。
展覧会の絵は、ベートーヴェンのやや単調で重厚長大路線に比べ、明らかにカラヤンの表現に幅と奥行きがある。それはカラヤンの指示ばかりでなく、ベルリンフィルの巧さによるところも大きい。軽い味わいがほしい曲での木管群の巧さなどは際立った効果をあげている。
素人のぼくなどが評するのはまことにおこがましいのだが、あえて言うなら、カラヤンは音楽を深読みして、聴き手にかつてない感銘を与えるという指揮者ではなかった。しかしすべての曲の、こうあってほしいという最大公約数的な解釈と表現を、最高の楽器=ベルリンフィルで実現させた。カラヤンのレコードならハズレはないと言われるのはそんなところからきたのだろう。
展覧会の絵からビドロ
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