いざ討ち入り 三波春夫 長編歌謡浪曲 『元禄名槍譜 俵星玄蕃』
きょうは朝まで降っていた雨が午前中にあがり、そのあと暖かい南風が入ってきて気温も上昇、師走とは思えない暖かさとなった。さて、きょう12月14日で思い出すのは何と言っても忠臣蔵。赤穂浪士四十七士の討ち入りだ。かつて忠臣蔵と言えば日本人の共通認識だった。演劇、映画、テレビドラマと年末になると必ず登場する年中行事のようであった。しかし近年はどうだろう。忠臣蔵をチュウキョゾウと読むという笑い話も笑えないほど認知度は低くなっているのではないか。忠臣蔵と聞いて、そのあらすじや様々な劇中の名場面を具体的に語れる人はごく僅かになっているように思う。世代的にはいまの70歳台までではないか。50歳台半ばのぼくを例に言えば、NHK大河ドラマの第2作、東京オリンピックのあった1964年に放映された長谷川一夫主演の「赤穂浪士」がかすかに記憶に残っている。若い頃東京下町で過ごし芝居好きだった母親がドラマを見ながら、堀部安兵衛がどうの、一打ち、二打ち、三流れの山鹿流陣太鼓がどうのといった話を炬燵の向こうでしていたのだろう、断片的な記憶が残っている。しかし忠臣蔵全体のあらすじや名場面のあれこれを知るに至ったのは成人になって以降だ。そんな忠臣蔵体験の一つに三波春夫の歌謡浪曲「俵星玄蕃」がある。多分高校生の時分にNHKの歌謡ショーで何度か見たのだろう、紅白で見たのかと思ったが、記録を調べると紅白では1964年と1999年の2回しか歌っていない。

御存知の通り、三波春夫の芸能活動は浪曲師として始まった。歌謡浪曲というジャンルを作り出し、何曲もの名曲を生み出したが、その中でこの「俵星玄蕃」は、曲の構成、歌唱部分の馴染みやすいメロディー、ドラマティックな語り部分と歌唱部との絶妙なブリッジなど、最高傑作と言ってよい。10分近くに及ぶ歌謡曲としては異例の規模のこの曲のクライマックス…雪を蹴立てて、サク、サク、サク、サク、サク、サク、「先生~!」「おぉ~そば屋かぁ~」のくだりは、当時忠臣蔵のあらすじも何も知らない高校生のぼくの記憶の奥底に刻まれた。その後この曲が青春期や壮年期の興味を引くこともなく幾年月が過ぎた。この曲が「俵星玄蕃」というタイトルであることを知り、忠臣蔵の物語の中での位置付けを確認し、何より三波春夫の歌唱をまともに聴いたのは、写真のこの盤をリサイクルショップのジャンク箱から100円で救出してきた10年ほど前のことだ。
まず何より三波春夫の口跡(今風に言うと活舌/滑舌か)が素晴しい。浪曲で鍛えたというよりは天性のものだろう。出だしの静かな語りの導入部は浪士達が主君を思って耐え忍んだ月日をそのまま表現しているかのようだ。中盤の浪曲調、山鹿流陣太鼓の一打ち、二打ち、三流れ、2/4・3/4・4/4とストラビンスキーばりの変拍子で始まり、クライマックスに向けて「時は元禄15年12月14日…」と畳み掛ける講談調、いずれも明快な語りと抑揚が文句なしだ。そして「先生~!」「そば屋かぁ~」で興奮はピークになる。3つの歌唱部分を間に挟んで語りでつなぐ構成もオペラの演奏会形式上演のようだ。スコアの指示はMaestosoに違いないと思わせる最後の歌唱部分は浪士たちの堂々たる歩みをたたえるようでグッとくる。
こんな駄文で四の五の言うより、YouTubeでの名演を見ることにしよう。この演奏では冒頭の語りが省略されているが、ライブならではの迫力にあふれる見事なパフォーマンスだ。ネットをみると年齢にかかわらず「俵星玄蕃」フリークはそれなりに存在するようだ。古臭い!何コレ?と理解に苦しむ輩にはうっとうしいだけだろうが勘弁願おう。
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