ギター工房訪問記 浦和 野辺正二工房 2002年
久しぶりのギター製作工房訪問記。といっても、もう10年以上昔の話で恐縮です。
2002年5月。ところは埼玉県浦和。60年代からギター製作の一人者として評価の高かった野辺正二氏の工房を訪問した。ぼくが40代半ばになったちょうどその頃、諸事情重なってギターを再開する気分になり、ついては1本楽器を新調しようかと考えたのが事の発端だ。
休日の昼下がり、JR浦和駅へ。まだ持ち始めて間もなかった携帯電話から電話を入れると、二男の野辺雅史氏が車で迎えに来てくれた。浦和市内の閑静な住宅地にある立派な門構えの野辺宅。20畳はあろうかという広間に通された。落ち着いた色合いと調度品。製作した楽器も飾ってある。プライベートなコンサートには打って付けの広さと響き。しばし雅史氏と歓談したあと、工房を案内してもらった。当時は父正二氏と二人の子息の三人で製作にあたっていた。工房内は作業工程によっていくつかに分かれていて整理が行き届いている。広さも、ぼくが知る個人工房の中ではもっとも広い。








長身の野辺正二氏が作業の手を休めて、いろいろと興味深い話をしてくれた。東京オリンピックを機に世の中、身辺の様相が一変したこと、楽器の命である材料は、その東京オリンピック当時のものがまだストックしてあるという。小屋裏には大量の材料ストック。このときすでに40年近い年月、自然乾燥下に置かれていたことになる。
仕上がったばかりの楽器2本試奏させてもらった。共にいい材料が使われ、簡素な装飾と抜かりのない工作精度で仕上げられていた。ボディーシェイプはアグアドを思わせる。音はびっくりするようなものではない。突出したところもなく、すべてがごく自然に響く。余計な倍音はほとんどなく、木質系の、穏やかながらよく通りそうな音だった。おそらく、こういう楽器が長年の弾き込みでこなれてくると、飽きのこない、まさに燥し銀のごとくと、たとえられるような名器になっていくのだろうと感じた。
帰りがけに、「お土産というほどのものではないが」と雅史氏から、材料のハカランダ端材をカットしたコースターをいただいた。 残念なことに、この訪問から2年後の2004年、野辺正二氏は急逝。写真に写っている後姿も今はない。また野辺ギター工房はその後浦和から埼玉県美里町へ移り。現在は二男の雅史氏が、父から受け継がれた良材を使って製作を続けている。また長男の成二氏は浦和でギター製作とアンティークの店を構えている。
-これまでのギター工房訪問記-
中山修(久留米)
堤謙光(浦和)
廣瀬達彦/一柳一雄・邦彦(名古屋)
松村雅亘(大阪)
西野春平(所沢)
田邊雅啓(足利)
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